癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

28日目〈民宿日ノ出〉~37岩本寺~〈末広旅館〉(四万十町)〈32.9km〉〈合計906.9km〉

2018年04月07日 | 登山・旅行

5:40スタート~14:55ゴール(9時間15分)〈50473歩〉

◎とにかく寒かった1日

     
 一番気温の上がる14:00の岩本寺手前の国道の気温は8℃。
 ここ数日間より、10℃以上も低い。おまけに強風波浪注意報が出ていて、北風でもあり、体感気温は5℃以下だった。

 昨日までの2日間は雨予報だったのに、朝から半袖シャツにハーフパンツだけでスタートした。それまでの数日間は毎日汗を掻いていた。
 しかし、今朝は、下はスポーツタイツにハーフパンツ、上はコンプレッションシャツにTシャツでスタートしたが、すぐにインナーダウンを着込み、さらに極薄のウィンドーブレーカーを着た。
 最後まで、それでも暑くはなかったし、手袋も離せなかった。

 土曜日なので心配した宿だが、これまで一発で予約できたことはなかった。しかし、今回は岩本寺の近くにある5軒の中から適当に選んで電話したら、一発でOKだった。しかし、なぜか「明日の朝食は出せないですけど、それでも良いですか」と聞かれた。もちろん良いので、理由は聞かなかったが、珍しいケースだ。

◎最初の10kmは海岸の国道歩き、それよりあとは山や内陸の歩き

 5:40、宿を出る。今日は、距離が短いので、のんびりと歩こうと思っていた。しかし、寒くてのんびりなんて歩いていられない。右手にまだ霞んだ太平洋を眺めながらハイペースで進む。

     
 佐賀公園の手前の展望台から来し方の海岸線を眺める。

     
 眼下の岩礁帯。今朝も、青空の下の紺碧の海は期待できなかった。

     
 途中の農村の田んぼは、もう青々していた。そういえば、昔は、高知は米の二期作が行われていたことを思い出した。

     
 鹿島が浦と佐賀市街地を眺める。

     
 佐賀の市街地のいかにも旧街道といった雰囲気の中を抜ける。ここからは、海から離れ、内陸部へと入っていく。
 ここまでもそうだが、概して、集落のない海岸沿いの道は国道に吸収され、旧街道が残っているのは、町中や農村地帯に多い。今は歩き遍路しか通らない遍路道は山中の峠越えに多い。

     
 佐賀の市街地を抜けると、農道や林道を兼ねている熊井遍路道となる。

     
 前回も印象が強く残っている、お遍路にも人気のある熊井トンネル。
 説明板によると、「明治38年(1905年)12月に工事が完成し、長さ90メートルあり「トンネルというものは入口は大きいが出口は小さいものぢゃのう」と言った人があるという。 
 レンガは佐賀港から一個一銭の運び賃で小学生などが1~2個ずつ運び、熊井側入り口の石張は二人の職人が右と左にわかれ腕前を競ったと言われる。 
 昭和14年(1939年)までは県道として利用され、現在はわずか、土地の人の通行に利用されているのみである。」

     
 下りていくと、伊与喜の集落に出る。ここからは、伊与喜川を挟んで国道と旧街道が5kmほど並行している。当然、昔の遍路道は旧街道の方である。そちらを進む。
 寒くて、休むこともできず、考えてみたら朝食も食べていなかった。10時過ぎになり、ようやく太陽も顔を出してきたので、風の当たらないところで、昨日道の駅で半額て買った3個入りの小さな大福を食べた。賞味期限は今日までだったのに、すでに固くなっていた。

     
 国道に合流すると、すぐに前回泊まった佐賀温泉があった。11時を過ぎたばかりだが、レストランで昼食タイムとした。
  
     
 メニューの名前を忘れてしまった、鯖みそや豆板醤を溶かして食べるラーメン。スープが美味しかった。

     
 やがて、前回も印象のある「市野瀬遍路道保全道」のある市野瀬の集落へ下りていく。

 この遍路道への入口に遍路休憩所があるが、その先の入口が分からない。逆打ちのゆえに標識類はない。こんなとき頼りになる「電子道標」の通り進んだら、すぐ先で道がなくなった。間違いは初めてのケースだった。
 地元の人が歩く道があちこちに延び、そこを20分ほどウロウロした。最後にそばの自動車工事に聞いたら、津波の時の避難階段を上がると言う。

     
 確かに、その先に遍路道は続いていた。電子道標もすぐにちゃっかり途中から合流していた。

     
 登っていったら国道のトンネルの入口に出た。どこへ進むのかと道を探したら、珍しく逆打ちの「岩本寺↑」の標識札があった。珍しいこともあるものだ。

     
 峠の頂上は標高280mで、茶屋でもあったのではないかと思われる平坦な所があった。

 やがて、国道に合流し、4.9km先の岩本寺を目指す。

     
 14:25、2日ぶりの38番霊場岩本寺に到着。般若心経の読経にも力が入る。

     
 境内に咲いていた見事なシャクナゲ

     
 階段沿いの寄進者の石柱にペギー葉山の名前を見つける。さすが高知県出身だ。

     
 14:55、末広旅館に到着。
 ここは前のときは窪川町だったが、四万十町になっていた。四万十市もあるだけに、紛らわしくないのか?
 そういえは、北海道にも釧路市と釧路町がある。

     
 近くで食堂も経営していて、そこから運んできた夕食。朝食ができない理由は、食堂は朝はやってないからだそうだ。夕食のみで5500円。
 料理のこだわりは感じられなかったが、食堂で調理しているだけに、味付けはどれも良く、今回初のカツオのたたきも予想してたより美味しかった。でも前回もそうだっただけに連日はお断りしたい。明日は、素泊まりにしよう。