癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

法事の準備 & 30km走挑戦・撃沈

2016年05月20日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン
 明日は、母の17回忌法要なので、朝5時に、草刈り機と掃除用具一式を車に積んで、立待岬の墓地にある墓周りの草刈りと墓掃除をしてきた。
 終わって車のところまで下りてきたら、伊達市から来たという登山スタイルの女性が登って来た。立待岬経由で函館山へ登るらしい。挨拶方々少しお喋りをしているうちに、名前を訊かれたので答えたら、「いつもホームページやブログを拝見し、参考にさせてもらっています。今日も坂口さんの記録を参考に、谷地頭温泉の駐車場に車を置いて登ってきました。こんなところでお会いできるなんて…」と感激され、握手まで求められた。朝から爽やかな気分になった。


 昨日は仏間の整理をしたので、午前中に必要なものを購入し、仏壇周りを明日に備えた。母の命日は6/15なのだが弟妹の都合で、明日にした。


30km走に挑戦するも、23kmで撃沈
 函館マラソンまでひと月半となった。5/24~6/6の間、中山道の歩き旅に出る予定なので、その前に一度30km以上を走っておきたかった。


 地図で計測したら、自宅から五稜郭駅の陸橋を渡り、函館病院のところから大野新道(国道227号)へ出て、大野十字街までの直線道路を走り、文月~清川(道々96号)~上磯国道(国道228号)~港小学校のところから函館病院~自宅で、ちょうど30kmだった。

 最初の10kmは、1時間08分30秒(平均ラップ6分48秒/km)、10~20kmは、1時間06秒30秒(平均ラップ6分36秒)だった。道々96号線から上磯の国道228号へ出たところで、ちょうど21kmで、ハーフの距離だった。この辺りから脹脛に張りの痛みが出てきた。それでも、7分を切るペースで23kmまで走った。ところが、その辺りから、続けて走ることができないくらい脹脛が痛くなった。その後は、歩いたり走ったり、最後の4kmは完全に歩きのみとなり、20~30kmは、1時間24分30秒(平均ラップ8分24秒)だった。

 過去の函館ハーフでも、何度か脹脛が痛くなって歩いたことがある。このときはだいたいが前半のオーバーペースが祟っている。今回も、7分/kmで走れば、もしかしたら歩かないで済んだのかもしれない。特に10~20kmのペースが速過ぎたようだ。その時は、そのペースで30kmは行けそうな気がしたのだが…。未知の距離なのに甘く見ていたようだ。ちょっと悔しい。

 本番は、今回の教訓を生かし、30kmまでは我慢して7分イーブンで走り、それでも同じ症状が出るようなら、歩くだけの時間的余裕がないので、回収バスの世話になる覚悟が必要だ。来週から毎日25~30kmの中山道歩き旅が続くが、それも少しはトレーニングにはなるだろう。しかし、帰って来てから30km以上走るだけの日数的な余裕はもうないだろう。


まっすぐな大野新道(国道227号線)に架かる新幹線の高架橋


旧大野の町並みも育った子どもの頃とすっかり変わっている。
ふと、子どものころに記憶がある大野十字街手前(新道沿い)の懐かしいお宅が目に付いた。当時は洒落たお宅だった。
良く遊びに行った友人の家の隣なので、どこのお宅だったかあとで聞いてみたいものだ。


すでに葉桜になっていた法亀時のシダレザクラ


沖川小学校・・・この校名にはおもしろい謂われがある。

この校名は、中野地区の「中」に、清川地区の清のさんずいを付けて「沖」とし、清川の「川」を組み合わせている。「清」のさんずいをわざわざ「中」に付けたわけは、中野より清川の方が子どもの数が多かったからだそうだ。
旧上磯町には、このような地名を組み合わせた校名がほかにもある。「浜分」という地名はないが小学校も中学校もある。これは、七重浜の「浜」と追分の「分」を組み合わせている。
また、「石別」という地名はないが、これも小学校も中学校もある。これは三ッ石の「石」と当別の「別」を組み合わせている。


この辺は、すっかり歩きモードになっていた25km付近の国道228号の産業道路交差点


 帰宅後、これまでに経験のないほどの疲労感と足のだるさだった。妻に揉んでもらって少し楽になった。