癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

熊野古道8日目(小辺路)・三浦口~伯母子峠~大股〈17km〉

2014年05月27日 | 登山・旅行
《6年前に引き続き、まさかの二度目となったツツジ満開の伯母子岳頂上》

今日は熊野古道で最も高い1220mの伯母子峠越えである。当初の計画では、次の水ヶ峰も越えて高野山までの34kmを一気に歩く計画だった。しかし、予備日が1日空いている。さらに、今日は雨予報だったので、無理しないことにした。そこで、伯母子岳から下りた大股の「民宿かわらぎ荘」に予約を入れた。結局今日は、登りの標高差約900m、距離は17km、6時間の歩きだった。

峠からすぐの伯母子岳(1344m)は、三百名山巡りで大股の方から登っているので懐かしかった。頂上にも寄ってみた。

8:00、古道の接続点の三浦口まで送ってもらってスタート。県道を1kmほど歩く。


8:20、五百瀬の伯母子峠登山口から石段を登って古道へ入る。


石垣を残す「待平屋敷跡」からの急な登りは、しばらくの間石畳の道が続いた。

その後にも、数ヶ所の茶屋跡の遺構があったが、1000mを超えたところの「上西家跡」には驚いた。広く平らな土地で、旅籠の他に作物を育て、養蚕も営んでいたという。この高さにある旅籠は旅人や馬子たちに非常にありがたがられ、大いに賑わったという。

標高900mくらいまではどんどん高度を稼げたが、その後の平坦な道が長かった。


11:40、トイレと山小屋のある伯母子峠に到着。さらに、頂上を目指す。



途中には北海道では見られない好きな花のひとつ清楚なシロヤシオツツジが満開だった。ちなみにこの花は皇室の愛子様の御印である。

12:00、予定通り4時間で6年ぶりの頂上到着。前のときもヤマツツジが咲いていたような気がする。
まだ遠くの展望は見えていたが、東側から雨雲が押し寄せて来るのが分かった。

山小屋の中で腹ごしらえをして、大股への下山開始。弱い雨が降ってきた。普通ならカッパは要らない感じだが、寒かったので上下しっかり着た。


「萱小屋跡」到着。6年前には、子どもの頃ここに住んでいたと言う女性がかわいい山小屋を造っている最中だった。それが完成していた。

この辺りからの急な尾根にジグザグの急な下りが続く。それがまったく記憶にないのが不思議だ。


記憶に残っている家と家の間の急坂を下って大股口のバス停に到着。ちょうど14:00、予定通り6時間だった。カッパは着たままだったが、雨はほとんど止んだままで助かった。

やはりauはここも圏外だった。バス停の公衆電話から民宿に電話したら、すぐに迎えにきてくれた。


民宿に到着。今日は団体が入っていて満室だそうだ。すぐに、近くの野迫川温泉まで送り迎えしてくれた。思わず温泉でのんびりすることができた。

温泉から帰って来たら、雨が本降りになってきた。

夕食は、写真を撮る前にうっかり食べてしまったか、鴨鍋と鮎の塩焼きと鮎の唐揚げのマリネだった。〆のおじやも美味かった。

熊野古道7日目(小辺路)・十津川温泉~三浦峠~三浦口〈20km〉

2014年05月27日 | 登山・旅行
《三浦峠から眼下の五百瀬の集落と正面には明日越える伯母子岳が見える》

今日から歩く高野山町石道までの古道は、明治22年の大水害で土地を失った640世帯2600余名の「十津川村郷士北海道移住団」が神戸港まで歩いた道でもある。今の新十津川町を拓き、築いた人たちである。その思いに少しでも触れてみたい。


今日は、川筋の国道歩きと1060mの三浦峠越えがメインだった。宿から約20kmを7時間掛けてのんびり歩いた。

7:30、昨日の3回と朝風呂も入り、今行程最後の温泉を満喫した。美味しい朝食をいただいて、民宿を出る。


古道の接続点となるつり橋の柳本橋対岸から実質的なスタート。

柳本から西中までの古道は部分的にしか残っておらず、8kmほどは国道をひたすら歩いた。国道ぞいのいくつかの小さな山村集落の中を通った。


玉垣内の古そうな川合神社は、菅原道真を祀っているとのこと。

9:50、西中の三浦峠登り口で国道から離れる。この後がちょっと大変だった。旧道と新道があり、舗装された林道とダブったりで、右往左往、行き戻りつで30分ほどロスした。

ようやくはっきりした古道を進み出した頃、反対側から三浦峠を越えてきた人たち7名と次々と出会った。その中の2名が外国人だった。


11:05、観音堂に到着。若い2人の女性が昼食を食べていた。


かなり高い所なのにもかかわらず、石垣を積み上げて平にした土地に茶屋や旅籠や田畑の跡が見られる。昭和20年代まで居住していた所あるらしい。


13:05、西中の登り口から30分のロスをしながらも、標高差800mを3時間ちょっとで、三浦峠に到着。林道が通っていて、バイクの人が2名いたのにはやや興ざめだった。

明日越える伯母子岳やこれから下る眼下の集落の展望を楽しむ。

ふと、記念植樹者名が書かれた木杭を見たら、新十津川町議会の議長と副議長だった。母村との交流の様子が窺えた。

いよいよ下山だが、西中からの登りは非常に緩やかだったが、三浦口への下りはかなり急だった。反対に登るのはつらそう。


標高500mほどのところに不気味な形で枝を広げた杉の巨木が何本も並んでいる。吉村家の屋敷跡の防風林だったらしい。樹齢500年ほどとのこと。


ゴールが近くなると、民家が現れる。石垣を積んだ住居跡の側には石畳の道が残っている。

14:30、ちょうど7時間で三浦口に到着。予約をしておいた「農家民宿山本」で迎えにきてくれると言ってたので、電話しようとしたら圏外だった。近くの家に飛び込んで電話を掛けてもらった。


迎えの車が着いたところは、なんとうれしいことに、大好きな山村風景の中の一軒だった。(中央上の大きな家)


昨日は満室だったらしいが、「今日はお一人だけなので、好きな部屋を好きなように使って下さい」と言われ、奥の一番大きな8畳と4畳の通しの部屋へ案内された。

築100年以上経っているというが、古い感じがしないがっしりとした典型的な農家建築だ。黒光りしているヒノキの太い張りや柱がが見事だ。トイレや風呂は最新のものにリフォームされていて快適だった。浴衣の代わりに作務衣というのもうれしかった。

ところが、auは圏外だった。家への連絡は電話を借りたが、ブログの送信は、明日どこか電波の繋がるところ待ち。


夕食は、自分一人のために1時間以上掛けた手作り感満点の地元素材の料理ばかりで、とても美味しくいただいた。特に、昨日の釜飯もそうだったが、今が旬というタケノコの炊き込みごはんと煮物がうれしかった。

奥さんといろいろお喋りしながら食べた。やがて、出掛けていたご主人が帰って来て夕食を食べ始めたので、部屋に戻り早々と就寝。