癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

削る苦しみ

2013年08月05日 | 日常生活・つぶやき
<新道の熊見峠から見上げる変化に富んだ険しい斜里岳頂上付近・・・次回掲載はこの斜里岳の予定>

 昨年の6月から始まった拙筆による北海道新聞(札幌圏版)隔週金曜日連載の「ほっかいどう山楽紀行」が31回を数える。

 これまでの本文原稿は14字×80行だったのが、前回から、紙面の関係で14字×64行に減らされた。まさに2割減である。これまでも決められた行数に収めるのに非常に苦労したが、より一層厳しくなった。なんとかまた元の行数に復活できるように願ってはいるのだが・・・。

 先週金曜日に掲載された新聞が送られてきた。5段組は変わらないが、これまでより3~4行細くなってなっている。なんとなく、貧相になったようで寂しい感じだ。
http://sakag.web.fc2.com/31-oppai.htm

 ひと月ほど前、文学が専門の先輩から、ありがたくも長いメールでの感想や批評をいただいた。その中の一節に、下記のような部分があった。
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 山楽紀行の素材は有り余っているはずである。それをどうまとめるかというのが苦心の在りどころだ。段落構成である。構想のセンスが問われる。制限のある字数の中で、いつも読む人のことを計算に入れなければならない。それがある程度定まれば、書き出せる。
 組み立てを決めていざ書き出すと、しかし、大抵は予定幅をオーバーする。推敲とは実際は削る作業である。文章に切れ味が要求される。惜しいところを泣く泣く排除した文章には、案外、力が備わるものである。
 表現のことをいうと、文は短いほうがいい。その点、山楽紀行の文はよく締まっていて、書き手の持ち味そのままに軽快で爽やか、切れ味鋭い。いかにも山稜を涼しい風が吹き渡る感じがする。
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 まるでこちらの苦労を見通したような内容だった。その中に、「推敲とは、実際は削る作業である」とある。まさに、その闘いの連続である。その辛さを嫌と言うほど味わっている。泣く泣く削る文章の痛ましいこと・・・自分の身を削るような想いだ。「惜しいところを泣く泣く排除した文章には、案外、力が備わるものである。」という励ましが唯一の寄りどころだ。

 明日送付日となった次回の原稿も、数日前までになんとか70行まで詰めたものができた。しかし、あと6行分を削ることの大変なことと言ったりゃありゃしない。段落ごとに、何度も何度もじっくり読み返しては、泣く泣く一文を削ったり、修飾語を削ったり、表現を変えたり、語尾を変えたり、文章を入れ替えたり・・・1字、2字と削って、3時間も掛けて、ようやく6行分を削ることができた。9合目以降の難コースを自らのルートファンデイングと持てる能力を駆使しての登頂感にも似た満足感・達成感が結構クセになる。

 先輩の言われる「切れ味のある力の備わった文章」になったかどうかは判らないが、より濃縮された文章になったことは事実だ。いつも、一番留意していることは、削ることによって味気ない文章にならないようにすることだが、それを感じるのは読者である・・・果たして?