北斗市茂辺地川上流の湯の沢川と西股川の間に位置する不二山(ふじやま)(496.9m)に登ってきた。
興味を惹かれる山名の由来は不明だが、地形図から察するに、今は通行止めになっているが、安政年間からあった道々29号線(上磯厚沢部線)の梅漬峠辺りから眺めると、富士山のように見えるのかも知れない?
登山道はないので、積雪期がベストの山である。しかも、南尾根以外はとてつもない急斜面に囲まれていて、それ以外からのアプローチは不可能である。西股川沿いの道々29号線(上磯厚沢部線)から南東隣のc400ポコへ繋がる尾根をを登り、そこから南尾根へと進むのが良さそうな感じだ。ただし、東股林道分岐の通行止めゲートまで除雪されていればの話である。
一昨日の林道偵察の結果、そこまで除雪されていたので、トライすることにした。すでに登っているSHOさんたちは、林道の奥からc400ポコへ直接繋がる北尾根へ取り付いているが、地形図をよく見たら、かなり手前から標高点333ポコへの北東尾根に取り付いてすぐ西隣の400ポコへと進む方が距離的に近いし、斜度が緩そうなので、そのルートにトライしてみた。
前日の雨とプラス気温のため、林道もかなり埋まる。そこで、かんじきをリュックに括り付けて、スノーシューでスタートした。結局かんじきは使うことはなかった。
なお、展望は、昨日から到来した黄砂のせいで、函館山がぼやっと見えるだけで、横津連峰などの遠望は霞んで見えなかった。
登り 2時間15分(内:林道歩き45分)、下り 1時間25分(内:林道歩き35分)
<今は開かずの道々29号線と梅漬峠の歴史>
今日、尾根までのアプローチに使った茂辺地川から西股川沿いの道々29号線(上磯厚沢部線)と梅漬峠だが、古くから、アイヌは、茂辺地越え、茂別越えと呼んでいた安政年間からある山道である。戦後、1949(昭和24)年に改修工事が完了し、1954(昭和29)年に道道に認定されている。しかし、2005年から落石の恐れや崖崩れなどで、現在に渡って長期間通行止めが続いている。かつて自分も2回は車で通って厚沢部へ抜けたことがある。
<梅漬峠の由来>
物資運搬の人夫たちが、この峠で一休みし、昼食を取り始めると、自分たちの荷物の中に梅漬の樽があるのに目を付けた茶目っけの一人が、「殿様に叱られてもしかたなかんべ」と言って、樽の中の蓋をとってつまみはじめると、他の連中も「俺さも一つ」と手を出して「うめ~梅干しだな~」と一同笑いさんざめきながらちょうだいしたという昔話から「梅漬峠」と呼ばれるようになった。
ゲート前にこのような立て看板が・・・ゲートから先の林道にはずっと複数のスノーシューの数日前のトレースが残っていたが、不二山へは登っていなかった。このトレースは、熊打ちの物だったのかも知れない。心配した冬眠明けの熊は、その足跡すら目にすることはなかった。
下山しても、まだ11時前だった。帰路、以前から訪ねたいと思っていた茂辺地の矢不来天満宮とその周辺の歴史探訪をした。(別にスレッドを立てて記載)
詳しい山行記録は、下記でどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/ (アップ完了)