癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

友人の死

2008年01月19日 | 日常生活・つぶやき
 若い頃からの同職だった友人が亡くなり、今夜のその通夜に行ってきた。50代半ばに発病した膠原病からわずか10%の確率で病変した「多発性骨髄腫」(いわゆる血液の癌)が命取りとなった。

 11月上旬に見舞いに行ったときは、割と体調がいいとのことで、手を握り合ったままいろいろな話を交わした。すでに寝たきりで、片目も失明していて、自分で助からないということが判っていても懸命に前向きに病気と闘っていただけに辛い見舞いだった。 
 
 彼は、実直でとても穏やかな性格の人間であった。いわゆる「いい人は先に逝く」の典型的なタイプである。退職後、私と同じように再就職をしないで、膠原病の名医を求めて、さらには、趣味の絵の勉強を兼ねて八王子市の方へ転居した。しかし、結局、多発性骨髄腫へ病変が判明して2年後に函館へ戻ってきて、2年間の闘病生活を送っていた。 

 20年前の新築祝いにいただいた彼の絵「日本海に沈む夕日」(画像)が今でも玄関に飾ってある。若い頃から趣味の絵も書道も玄人はだしで、特に絵はあちこちの展覧会に出展するほどで、書道は8年前に亡くなった私の母と同じところで習っていた。

 昨秋の10月下旬に、八王子で勉強しながら描きためた日本画の個展を入院している病院で開催したことは北海道新聞のみなみ風に掲載されていたので、知っている人も多いであろう。見舞いに行ったときには、その絵が隣の空きベッドに積まれていたので、そこで見せていただいた。どれも彼らしい静かないい絵であった。

 最近、葬儀に参加するたびに、自分の最期を思うことが多い。早く逝く人は亡妻や父も含めて、身の周りでも癌が圧倒的に多い。私の願いは、周りに長々と介護の苦労を掛けて生き長らえるのではなく、母のようなピンピンコロリであるが、これだけは誰も知る由もない。しかし、この願いは、みんな同じであろう・・・・好き放題な生き方をしてきた自分はろくな死に方をしないのではないかと心配ではあるが・・・・。