つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

立夏

2021年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム
立夏の候となりました。

コロナ感染問題下で、一年中マスクをつけているため、益々季節を感じる力が弱まってしまっているなぁと思います。人は案外皮膚から、そして、お顔では面積の広い「頬」から色々な情報を察知しているのでしょうね。


店前の躑躅の開花が一通り終わった頃、今度は裏庭のサツキが次々と花を咲かせてくれています。各季節ならではの樹木、草花の色の美しさを多くの画家たちが画面に残したいと願い、切磋琢磨した気持ちが年々よくわかるようになりました。






さて、随分早く出し過ぎてしまったなぁと思っていた森芳雄のこのデッサンの紫陽花の季節も、目前になって来てしまいました。映り込みを避けて、斜めから撮影をしてみると、この画家の影の付け方がよくわかり、作品の「確かさ」が如実に感じられます。








この丘人の素描も、店の中央に飾っても、なかなか堂々としています。
丘人の作品は、その構図と色使いであの独特の「詩情」「人懐っこさ」を感じさせるのかと思っていましたが、この素描を見ていると「線」にも丘人らしい表情がよく出ていて、誰でも描けそうで居て、誰にも描けない作品になっているのだと気付かされます。


よい絵は上手い絵だと思っていらっしゃる方が多くいらっしゃいますが、実は絵を描くのが上手で大成された画家はほんのひと握りだと感じています。

巧さは、深みを嫌ってしまうからです。

年老いて、人はより孤独になっていくものではないでしょうか?
間違いなく訪れる「死」がより目前に迫ってくることを実感するのですから、、

頭も、体も思うように動かなくなって、それでも、命ある以上生きていかなくてはならない時、唯一その老いた命を支えるのは、「感謝の心、全てを許す心」だと思っています。

自分への諦めの心が他人を許す優しい心を生み出すのです。

上手い作品は、切れ味よく美しくはありますが、案外諦めの心、他人を許す心を宿していないように感じます。
真善美のバランスに欠けているのかもしれません。



60代を生きる私たち2人がこれから求める作品は、「更に優しい作品」です。
生半可な優しさを嫌い、上手くても、下手でも、ひたすら描くことだけに徹して、本当の自分に出逢おうとした画家たちとの更なる出会いを求めていきたいと思っています。


マスクに覆われて鈍ってしまった感性を取り戻すためにも、来週からまたこの仕事に集中をさせていただこうと存じます。









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1 コメント

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Unknown (KY)
2021-05-08 18:44:24
森作品
確かに良く見えます
今まで距離の取りにくい通路に掛けてあったから
ですか? たしかにアクリルガラスがよく光って
いましたね
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