何度でも、残暑お見舞い申し上げます。
名古屋も猛暑続きの毎日です。
お墓参りにお寺に伺うだけで、もう汗びっしょり💦命がけ💦
こんな時にきちんとお墓参りに出かける私達って偉い!と内心思っておりますと、
皆さん、このお暑さの中、きちんといらしているのですね。。
爽やかに「こんにちは〜」などと言い合いながらのお墓参り、、
日本人ってやはり立派だなぁとつくづく感じます。
さて、お客様より絵葉書を頂戴いたしました。
沢山の絵葉書をお集めのお客様。
今回は「朝顔三題」とタイトルをつけさせていただきました!
ご覧になりにくいかもしれませんが、松尾敏男、安田靫彦、杉山寧の朝顔。
どれがどの画家の作品か?お分かりになられますでしょうか?
1番上、緑のバッグが松尾敏男
その真下が杉山寧
その隣、地面に広がって描かれているのが安田靫彦です。
参考に図録も出してみました。1番下は小林古径の作品です。
同じ日本画ながら、朝顔の美しさをどこに感じるか?で、作品のイメージが随分と
違ってくるのだと思います。
「お好み」を1番にお選びいただくのが大切かと存じますが、、
皆様が「朝顔」らしいとお感じになられるのは、やはり杉山かな?と思います。
構図にも色にも隙がありません。
朝顔を描くには「線を引く力」が1番大切だと思いますが、杉山のこの線の技術に
申し分はありません。
「牡丹の松尾」の「朝顔」は鈍い緑色をバッグに使って、全体に鈍く描かれている印象を与えます。
朝顔の描写はやはり「線」の勝負になりますので、それを上手く避けているようにも見えますね。
牡丹なら目を瞑っても描けてしまうだろうこの画家の朝顔には、何か初々しさも感じられ、額に収めた時、
案外華やかになって良いのかもしれないと思えます。
靫彦の朝顔は、本当に綺麗ですね。
とりどりの色のお花が咲いています。
夏の植物の葉のこんもりとした様子、伸びようとする蔓の描写、意図的に隙を作り
朝顔の持つ、やさしさ、素直さ、明るさを上品に描いています。
何を描こうとしたのか?が随分と違い、この三枚の朝顔と古径のこの図録の朝顔を比べるのは
少し無理があるようにも感じますが、、無理やり比べてみますと。。
隣に描かれた「からすうり」と同じように、「蔓」を描かせたらやはり古径は1番!だと思えます。
杉山も靫彦も勿論「蔓」を大変巧みに描いています。そして、それぞれ「杉山の線」「靫彦の線」に「揺るぎ」など
全くありませんが、、、
それは全て画家自身の身の内、内部に伸びている「蔓」であるように私には感じられてしまいます。
古径の描く蔓は、何の支えなく、頼りなく、けれど必ず自身を脱して、太陽に向かい成長を続ける。
「朝顔の命の再現」そういった感動を与えてくれるのです。
その絵を見て「誰々の作品」「誰々の線、色」とわかる事。
画家にとって長い画業を通して獲得していく時、1番大切なことはそこにあると思いますが
まだその先に、無私の世界があるように古径の作品はいつも感じさせてくれるのですね。
ここにはご覧にいれませんでしが、土牛の朝顔もまたその境地が感じられ、私は好きです。
土牛の朝顔には「夏」があります。
日本人が、お墓参りに行くことも、お料理をすることも、お掃除をすることも、勿論お仕事をすることも、
実はこの境地を味わう為だろうと私はこの頃つくづくと感じます。そして、そうした暮らしの繰り返しの中で
どんどんと「絵が見えてくる」という実感を深めています。
小杉放庵のお軸にお納めのお約束を頂戴いたしました。
まことにありがとう存じます。
花の色の取り合わせにもよるのかもしれません
その分、やはり少し朝顔にしては固い表情を感じます。