長く楽しませてくれた自宅の椿が見納めの頃となりました。
お正月の佐橋の父のお命日の頃に蕾を沢山つけ、
2月の東京の父のお命日の頃に初めて花を咲かせるこの椿の木は、
3月のお彼岸の頃には全ての蕾を無駄なく咲かせきりました。
私が手折った椿の蕾は、花を咲かせることなく終わってしまうのですね。
この3ヶ月の間の椿の色々な表情に、多くの画家の椿を思い出させてもらいました。
御舟、古径、靭彦、、、
桜は散り際が美しく、悲しみを誘いますが、椿はその散り際に
命の「強さ」をいやという程私たちに見せつけます。
ある種の「醜さ」も見て取れる気がするのですね。
徳岡神泉の初期の代表作である「椿」は、椿のそんな強さ、醜さをも全て受容し、描かれているように感じています。
よくこの時期の神泉の作品に「妖艶」という言葉を重ねて味わいますが、
この命の「妖艶」を自分の人生に実感して、こうした芸術作品を感得すること自体が大変難しい時代になってきてしまったように思えます。
身近にさく花をじっくりと眺め、色々な絵画に想いを馳せる。
日本画は人生の深まりを楽しませてくれる、そんな素晴らしい伝統文化であると信じています。
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