つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

2024/07/23

2024年07月23日 | 森芳雄展
孫が昨日手作りのケーキを持って自宅に遊びに来てくれました。

4歳のサイチと1歳半のキイノはそれぞれアレルギーなどありますが、普段はとても元気で活発な子供たちです。

私は孫と遊ぶ時は、「命がけ」と思えるほど一生懸命遊びます。

体も使い、知恵も絞り、色々な遊びを一緒にします。戦ったり、踊ったり、兎に角必死に遊びます。

公園に行くときは、一緒にお滑り台を滑ったするので洋服は汚れるし、なんと言っても筋力が足りないのですぐ転んだり、頭を打ちそうにもなります。自分でもどうかな?と思いますが、子供というのは大人の真剣さを瞬時に判断するので、努力は必ず通じ、とても仲良くしてくれるのですね。

孫だからということもあるのでしょうけれど、やはり子供というのはとっても美しいと思えます。
よく笑うし、泣いたり、怒ったり、怖がったり、寂しがったり、兎に角生きるということに真っ直ぐなのです。




先日、私の誕生日の当日に、2人の孫がビデオ通話をしてくれました。

絵本を一緒に読んだり、ぬいぐるみを使ってごっこ遊びをしたり、歌を歌ったり、私も孫たちも携帯やパソコンの前で大忙しですが、楽しい時間はすぐに過ぎてしまうもので、お別れの時間が近づくと「もっとなばーばと(私は孫たちにこう呼ばれています)お話ししたい、切りたくない!」と真剣に怒ってくれたり、泣いてくれたりする姿を見ると、何だかとても嬉しくて、「明日もがんばって生きよう!」と思えてきます。

それでもサイチは4歳になって会話がスムーズになってきたので「それじゃ、明日もまたビデオ通話をしようよ。お約束しようね」と言うと「わかった」と納得してくれるようになりました。

キイノはまだお話しできないし、きっと意味もわからないのでただ「キイノさん、バイバーイ」と手を振って通話を切ることにすると、

翌日、義娘のマホから、「キイノは昨日お義母さんと通話を切った後、「なばーば、なばーばと言って家中を探して歩いていました」と教えてもらうと、何だかとても胸が熱くなりました。





孫たちと遊んだ翌日は、いつも見ている絵が、とても強く、深く感じられて不思議です。

ストレスを発散できたからと言えるのかも知れませんが、私の邪な計算や欲が洗い流されたからではないかと思っています。

キイノが、画面から消えてしまったナバーバを歩き回りながら探してくれたと知った時、私は森芳雄の描く人物像というのはそういう存在ではないか?とふと考えました。


いつかは目の前から居なくなってしまう形としての「存在」と、心象風景のように心に淡く、けれど決して消えてなくなったりしない感覚としての「存在」

その間を行ったり来たりしながら森芳雄の作品上の人物は寡黙に、羞じらいながらいつもそこに立っています。

終戦後も寡作であり、生活も貧しかった森に、あの山口薫が「もっと絵を描け、ここで描かないと腕がなまる」と忠告したというお話は有名ですが、いま私の目の前にあり、2ヶ月近くをともに過ごすことになった森の作品は、なんとも言えない温かさと「絵」としての品を保ち、佐橋の形や姿を探すことを諦めはじめた私に一筋の光と安心を与えてくれています。森芳雄という人はやはり一本気で嘘のない、美という信頼に値する画家であったと思えます。



孫たちに学ぶことは、まだまだ沢山ありそうです。これからも美術品を観るときと同じように、真剣に子供達と向き合っていきたいと思っています。












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