もう何度でも暑中お見舞いを申し上げたい気分です。
出社するのにも、着替えを持って出ないと、汗をかいて後から風邪をひいてしまいそうです。
ご来客の皆様のこのところの1番人気はこのコーナーです。
アートニュース8.9月号が届きましたので、「この記事の色見本をハサミで切って、この額に入れました」とご説明をしやすくなりましたが、
絵と見ればどんなものでも皆様売り物と思われるのか?必ず「これは?」とご質問を受けます。
さて、あと一点だけご紹介をさせていただいていない作品がありました。
6Fの「花」です。
こちらは1988年、晩年の作品です。
森芳雄作品をご所有の方のなかには「薔薇」をお持ちでいらっしゃる割合が案外多いかと思います。
私自身は同じご予算でいらしたら、森の果物か人物像、つまり「中身の詰まった存在」?を描いた作品をおススメ致しますが、この瓶花も確かにすぐに「森芳雄」とわかる作品だと思えます。しかも同じバラの中でも出来の良い作品ではないでしょうか。
ホームページやブログをご覧くださり、森芳雄展についてみなさまがどうお感じくださっているかは残念ながらよくわかりませんが、機会をいただければ私はもう一度森芳雄展を開かせていただきたいと思っています。
特に森の人物像は、鳥海青児展、華岳や神泉の日本画展のときより、私自身に大きな影響を残してくれていると感じています。
ただ、それは言葉にするのが大変難しいことだということも強く思います。
この7月は、2010年6月にブログを始めさせていただいてから、今までで一番多くの記事を書かせていただきました。18回!
楽しく書かせていただくことが出来、また例年になく沢山の方達にお立ち寄りいただいておりますが、どんなに言葉を重ねても森の人物像に感じる「刹那」を皆様にお伝えできないことが残念です。それだけ、懐の深さをもつ作品たちだと思えます。
展示の全作品をご紹介させていただきましたことを記念して(記念?)
鈴木大拙の言葉を最後にご紹介させていただこうと思います。
「東洋的な見方」からの抜粋です。
東洋の人は何を考えるにしても生活そのものから離れないようにします。
ただその生活とはいわゆる物質的なものでななく、霊性的な向上を意味しています。
たとえば庭をつくるときは心の休まる様に、品性が高まる様に構想をたてー略ー
絵を描くときもまた然り、古の人々は胸に万巻の書物を収めておかなければ本当の絵は描けぬといいました。
日本の床の間にある絵は壁の空間を塞ぐ飾りでも、感覚的なよろこびを提供するものでもありません。それは有限を超えた何かを見たいという人間の欲求に応えるものです。
それゆえそれを鑑賞するときには香を焚いて心神を鎮めたり、床の間を家の奥に設けそこを神聖な場所にしたりするなど敬虔な態度を求めます。
美は単なる美ではなく霊的な要素から生まれる必要があるのです。
「花」 6F ◇
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