つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

今泉篤男の岡鹿之助評 (昭和43年3月 大阪心斎橋大丸 岡鹿之助展図録より)

2024年03月19日 | 絵画鑑賞
岡鹿之助の作品は、リズムの芸術であり、節度の芸術であります。
奔放とか激越とかという感情とは無縁の仕事です。しかし、奔放でなくとも、そこに精神の飛翔はあるのです。激越でなくとも、人々の心情に高らかに響く鮮烈さはあるのです。
岡鹿之助の絵を見る人は、そこに何か独特の澄明な空間をかんじないでしょうか。それは、現実の空間よりは遥かに透明度の高い空間です。

中略

人々は、そこに岡鹿之助の一種の理想主義を読み取るでしょうか。私の考えでは彼の透明な空間は理想主義というような観念に支配されている空間では絶対にないと思うのです。この画家は、観念の捕虜になるにはあまりにも謙虚であり、理想のしもべたるにはあまりにも芸術家であります。彼の透明空間は、自分で狙っている表情というようなものではなく、彼の精神のいわば体臭のようにおのずから発散し、醸し出されているものなのです。ですから、作者自身にとっては、はっきりと気がつかないようなものであって、それだからこそ人々の心を強くそこに誘うのかもしれません。

終戦後間もなくの頃、画壇のある精神主義的な一人の長老が、自分は描く紙がなければ大空に眼でデッサンする、と若い画家たちの前で訓戒した時、岡鹿之助は、はっきりとそういう見解に対する不満を表明したのを私は憶えています。彼は、観念の遊び、そして自分では遊びなどとは夢にも思っていないようなこういう考え方に何の興味も示しません。むしろ、軽蔑しているようにさえ思われます。それほど彼は観念の捕虜になることを嫌っているのです。彼によれば、画家は紙の上に、画布の上に、何かの上に痕跡を示すことによってのみ本当のイメージが成立するという考えなのです。それを当然のことと岡鹿之助は考えているのですから、そう易々と理想主義の観念に縛られるわけにはいきません。

ですから、彼の画面の透明空間は、彼の理想主義の産物ではなく、つまりこしらえものの透明空間ではないということです。
さればこそ、岡鹿之助の作品に、微妙で俊傑な「詩」が生まれるのだ。と私は言いたいのです。しかし、ここで私のいう「詩」という一語を抒情の粉飾をつけないで受け取っていただきたい。


鳥海青児展に副題をつけたいと考えたとき、「抒情」という言葉をつかうか?「浪漫」を使うか?少し悩みました。普通に考えれば、鳥海作品には、抒情が似合い、浪漫は遠いイメージだと思いましたが、抒情にすると何か陳腐なイメージになってしまうように思いました。

結局、鳥海青児も岡鹿之助も、自分の手によって生み出されるものだけを信じていたということだろうと思います。そして、二人はそれぞれに上等な「詩」を生んだのだと思います。

ただ少し、鳥海は絵画的であった。岡鹿之助は音楽的であった。二人の違いはそんなところにあるという印象を持っています。







コメント (2)
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