あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

加庭勝治上等兵 「 赤坂見附の演説 」

2019年06月10日 17時50分26秒 | 野中部隊

私はその頃先任上等兵として第五班にあって初年兵教育に任じていた。
教官は鈴木金次郎少尉で陸士出の温厚な人であった。
この人が歩三附になったとき 一緒に来たのが常盤、清原の両名で、
いずれも優秀な若手で三羽烏と云われた信望のある将校たちである。
私の所属した第十中隊は五ケ班から成り、第一、第三が小銃、四、五班が軽機に区分され、
私は専ら軽機の操法と内務を主眼として教育をやっていた。
    
鈴木少尉     常盤少尉         清原少尉
二月二十五日戸山射場で実弾射撃があり 帰路 私は兵を指揮して帰った。
それは妙な成行から幹部が不在になったためである。
さてその夜、私は班長から軽機の銃身を交換するよう命令をうけた。
そこで初年兵を指導し教育かたがた実包用銃身に取換えたが、
その夜の将校下士官の様子が妙にザワついていて何となく非常呼集を予期した。
二十六日午前〇時
非常呼集がかかった。
通常なら衛兵ラッパが鳴るのだが今回は関係なく、福島班長が一人一人起して廻った。
手早く支度をして中庭に整列すると、点呼のあと 兵器係の伊高軍曹から実包や食糧を手渡された。
どこかへ出勤するらしい。
そのうち荒縄が配られて軍靴を縛った。路面が凍っているので滑り止めにするためだ
一切の準備が整ったところで舎内待機、
仮眠となり 午前四時すぎ 私はLGの分隊長となって出動した。
行き先は警視庁と判った。
一時間足らずで到着すると直ちに包囲態勢を完了し 一部の分隊が玄関から突入した。
そののち私の分隊も内部に侵入したところ、
夜勤の職員があまりのことに驚き 一斉にホールドアップした。
こうして占領は一弾をも放つことなく終了した。
五〇〇名からなる襲撃部隊を見ては さすがの警視庁も観念したらしく、
反抗の意欲もなく我が方のいうままに動いた。
我々は以後ここでしばらく警戒態勢をとりながら次の命令を待った。
二十七日になると
外部が大分緊迫化してきた。
その夜私は鈴木少尉の命で街頭演説をやった。
福島二等兵を護衛にして二人で外に出たが適当に場所がなく、
とうとう赤坂見附の市電停留所の高い所でやることにした。
街には事件の推移を不安そうに見守る市民たちが大勢いたので忽ち私の所に集まってきた。
「 皆さん、私は蹶起部隊の一員です。
私達が何故このような行動を起したのか、よく聞いて下さい 」
私は前置きをしてから 一席ブッた。
日頃 鈴木少尉から聞いていた内容を分かりやすく滔々と述べた。
この時 携行していったチラシを何名かの者に配布したと思う。
演説が終わると市民は期せずして拍手をした。
そして一部の者から質問がでて、今後はどうなるのかといわれたので
は即座に 心配しないで生業についてもらいたい と答えた。
民衆への反響は吉と出たようだ。我々を支持しているのだ。
私は帰ってから鈴木少尉に報告すると喜んでくれた。
このような民衆運動はこれが初めてで、
また 最後ともなり、しかも実施したのは私だけであったようである。
その夜は警視庁を撤去して文部大臣官邸で仮眠した。
二十八日は
事態が急迫し鎮圧軍と一戦交える状況となった。
最早この時我々は反乱軍となっていたのだ。
最速私たち分隊は閑院宮邸の前に陣地を作って雪の上に散開
、相手が撃ってくれば応戦する構えをとった。
だが もうすべてが終わったようで将校たちの顔には落胆の色がみえていた。
二十九日は
朝から緊張が最高に高まり、戦闘にそなえていると各所からスピーカーの放送が始まり、
やがて三井参謀等がやってきて将校を懇々と説得したため、遂に下士官兵は帰営することに決まった。
斯くして迎えのトラックに乗車して帰隊、間みなく近歩二に隔離された。

私は病気で入院したが、その時から憲兵が病室の監視にあたっていたのを知っている。
退院して帰隊すると取調が待っていた。
これについては人事係の高橋特務曹長から
「 聴かれたら何でもハイ、ハイと云え 」 と 吹込まれていたので
取調べの場ではそのように答えたところ十分位で終了した。
これで一切が放免となったがその間の給料は一等兵並であった。
事件が落着し聯隊幹部が総替わりしたあと下士官志願をすすめられ、
遂に断り切れず主計下士官を志望、
終戦時は仙台師管区経理部付の経営課長である。階級は主計大尉であった。
今、二・二六事件を考えてみると、
青年将校の意図というか思想そのものは崇高であるが手段がよくなかったと云えよう。
特に下士官兵を連れ出したのは間違いであったと思う。

二・二六事件と郷土兵
歩兵第三聯隊第十中隊 伍長勤務上等兵  加庭勝治  「 電車通りで演説 」 から


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