北一輝
・・・前頁 北一輝 (憲聴取6) 『 外部カラ蹶起部隊ニ對シテ好意的ナ助言ヲシタ 』 の 続き
第七回聴取書
住所 東京市中野區桃園町四十番地
無職 北一輝事 北輝次郎
當五十四年
右ハ、昭和十一年四月十七日、東京憲兵隊本部ニ於テ、本職ニ對シ左ノ陳述ヲ爲シタリ
國家改造運動ノ經緯ニ就テ
私ハ佐渡ニ生マレテ、少年ノ當時、
何回トナク順徳帝ノ御陵ヤ日野資朝ノ墓ヤ熊若丸ノ事蹟ナドヲ見セラレテ參リマシテ、
承久ノ時ノ悲劇ガ非常ニ深ク少年ノ頭ニ刻ミ込レマシタ。
帝ノ痛マシサト云フ様ナ事、亂臣賊臣ノ憎ムベキ事ト云フ様ナ事ハ、單純ナ頭ニ刻ミ込マレテ來マシタ。
其當時ノ佐渡デアリマスカラ、ホンノ絶海ノ孤島デ私ハ漁夫ノ子供党ト一緒ニ育ツテ來マシテ、
何等外界ノ刺戟モナク、眞實ノ自然児トシテ生活シテ居リマシタ。
二十一、二才ノ時、東京ニ出マシテ獨學ヲ致シテ居リマシタ。
二十三才ノ時、「 國體論及純正社會主義 」 ト云フモノヲ書イテ自費デ出版致シマシタ。
夫レハ少年時代ノ書物デアリ、且ツ不完全ノ儘デ出シタモノデアリマスガ、
其ノ所謂、私ノ社會主義ナルモノハ其ノ書物ノ序文ニ長々ト書イテアリマス通リ、
當時ノ社會主義者ト謂フモノノ全部ガ ( 幸徳、堺、片山、大杉等デス ) 悉ク日露戰爭ニ反對シタノニ對シテ、
私ハ國家ヲ離レタ社會ト謂フモノハ無イカラ、
社會主義ヲ謂フナラバ日露戰爭ヲ是認セヨト云フノガ道義デアルト極メテ強ク力説シテ置キマシタ。
此點ハ少年時代ノ思想デアツテモ間違ツテ居ラナカツタト思ヒマス。
只當時ノ社會主義ト云フ言葉ノ中ニハ、空漠トシタ種々ノ夢想ガ入ツテ居リマシテ、
「 マルクス 」 ノ翻譯一冊アルデナシ、
只貧富ノ間隔無ク、萬民悉ク富ミ樂シム位ノ程度ガ社會主義ノモノデアリマシタ。
殊ニ其ノ書物ノ巻末ニ於テ、東洋ニモ社會主義ガアル、
即チ孔孟ノ 「 井田ノ法 」 ガ夫レデ有ルト云フ馬鹿馬鹿シイ子供ラシイ事ガ書いてある等、
全ク空想時代ノモノデアリマス。
然シ山路愛山ノ様ナ大家デモ 「 井田ノ法 」 ハ社會主義デアルト名附ケテアル程デアリマスカラ、
如何ニ自分ノ理想ガ幼稚デ空想的デアツタカ、オ判リノ事ト思ヒマス。
其ノ國體論ノ部分ニ於テハ、日本ノ歴史ノ解釋ニ就テ、
一ツノ見方トシテ他ノ後ノ歴史研究家ニ相當暗示ヲ与ヘタト云フ事ヲ聞イテ居リマス。
自分ノ國體論ニ就テハ、其後三十四才ニナツテ信仰ニ入リマシタカラ、
五年十年ト修行ヲ積ム様ニナツテ、日本ノ神國タル根本ノ意義ガ判リマシタ。
二十才時代デハソウ云フ指導者モアリマセヌ。
自分等一般青年等ハ多ク懐疑的デアリマシタ。
其後書物國體論及純正社會主義ヲ印刷シテ居リマシタ印刷屋ガ、
支那革命党機關紙 「 民報 」 ヲ印刷シテ居ツタ処デアツタタメニ、
其ノ私ノ書イタ書物ガ支那留學生、亡命客ニ多ク讀マレマシテ、
其ノ因縁カラ、故宮崎滔天ノ導キデ二十四才ノ秋、孫逸仙、黄興、宋敎仁等ノ列座ノ席上
支那ノ革命党ニ參加シマシタ。
二十九才ニナリマシテ、第一革命ガ勃發シマシタノデ、直チニ支那ニ渡リマシタ。
揚子江の上下ヲ往來シテ居リマシタガ、其後自分ハ支那ノ動亂ノ中ニ入リマシテ、
征服者トシテノ君主ガ如何ニ亡ビ易イカ
( 満洲国皇帝ハ民族ヲ征服シタル君主デアリ、第一革命ハ民族獨立運動デアリマシタ。
即チ革命ト謂フヨリモ民族獨立運動ト謂フ方ガ正當デアリマス )
同時ニ支那自身ノ漢民族中ニ、君主ト仰グベキ者ガナイタメニ、大統領ガ度々起キタリ殪レタリ、
又ハ袁世凱ガ皇帝トナロウトシテ一ツモ國内ノ建設ガ出來ナイノデ、
萬民塗炭ノ苦シミヲ續ケ居ルヲ見、痛切ニ皇統聯綿ノ日本ニ生レタ有難サヲ理論ヤ言葉デナク、
腹ノドン底泌ミ渡ル様ニ感ジマシタ。
又欧州大戰前ノ事デアリマスカラ、
英佛獨等ノ諸國ノ勢力ガ支那ノ上ニノシカカツテ居ルノヲ體驗ヲ以テ知リマシタ。
嘗テ外侮ヲ受ケタ事ノナイ日本ノ有難サヲ感ジ續ケテ來タノデアリマス。
私ハ、支那ヲ救フニハ支那ノ力デハ駄目デ、
日本ノ正義ト實力トヲ以テシナケレバ他ニ道ハナイト云フ事ヲ痛切ニ感ジマシタ。
私ハ、思想ハコノ時ヲ以テ初メテ確ツタト思ハレマス。
私ハ、支那ヲ中心トシタ對外活動ガ、私ノ使命デアルト考ヘマシテ、
夫レ以後、對外的ノ事バカリニ注意ヲ拂フ様ニナリマシタ。
三十四才ノ一月ニ、私ハ突然信仰ノ生活ニ入リマシタ。
同時ニ第三革命ガ支那ニ起キマシタノデ、
「 革命ノ支那及日本ノ外交革命 」 ト云フ印刷物ヲ百部作リマシテ、
當局ノ尠數ノ人ニ丈ケ配布シマシタ。
大隈内閣ノ時デアリマシテ、故矢野竜溪君カラ、
當時ノ外相石井菊次郎氏及大隈首相ガ革命ノ事情ガ判ラナイノデ話セト謂フ事デアリマシタノデ、
印刷物トシタノデアリマシタ。
三回位ニ分ケテ配布シマシタ。
初メノ支那革命ノ説明ハ、皆喜ンデ諒解シテ呉レマシタ。
後半ノ日本外交革命ト謂フ點ニナリマシタラ、皆驚イテ態度ヲ變ヘマシタ。
其ノ理由ハ、日本ハ露西亜ト英國ヲ敵ニスベキモノデアル。
露西亜カラハ西利亜ノ判部ヲ奪ヒ、英國カラハ東洋及南太平洋ニ於ケル英國ノ領土ヲ奪フベキモノデアル。
英露二ケ國ハ當時ノ如ク支那ニ蟠居シ居テハ、支那ノ保全ハ望ムコトガ出來ナイ。
ソシテ日本ト米國ノ間ニ經濟的ノ同盟關係ヲ結ビ、支那ニ對シテハ攻守同盟ノ形ヲ以テ、
最モ礼儀ヲ盡シタ保護關係トスベキモノデアルト謂フ解説ヲ論ジテアリマス。
之ハ、當時日本ハ支那ヲ援ケテ露ニ向ヒ、
又日英同盟ニ捉ハレテ何処迄モ英國ノ御用ヲシテ居ツタ時デアリマスカラ、
當時ノ政府トシテハ喜バナイ理論デアツタノハ勿論デアリマス。
只一人朝鮮ニ居ツタ寺内總督ガ、友人ノ朝鮮京城の或ル人ヲ通シテ、私ニ賛成ノコトヲ申シテ來タ丈ケデアリマス。
此ノ印刷物ガ、後々大川周明君ニ依ツテ出版サレマシテ
「 支那革命外史 」 トシテ相當賣レマシタノデス。
「 日本改造法案 」 ノ公判ニ書イテアル外交策ハ、
尠シモ其ノ意見ヲ修正シナイデ益々私ノ信念ヲ固メテ主張シテ來テ居リマシタ。
今日トナリマシテハ、恐ラク反對スル人モアリマセンデショウシ、
自分ハ將來モ日本ノ國是トナルコトヲ信ジテ居リマス。
私ノ根本思想ヲ申シマスレバ、
コノ支那革命外史ニ書イテアル日本ノ國策ヲ遂行サセル時代ヲ見タイ謂フ事ガ唯一ノ念願デアリマシテ、
自分モ亦微力ナガラ尠シヅツデモ働イテ來テ居リマス。
私ハ其ノ刷物ヲ書キ殘シテ再ビ支那ニ渡リマシタ。
コレガ大正五年デアリ、ソレカラ大正八年迄支那ニ居リマシタ。
ソシテ欧州大戰ノ終ルト同時ニ、初メテ 「 国家改造原理大綱 」 ト謂フモノヲ書キマシタ。
ソレヲ書イタ目的ハ、露西亜大帝國ガ先ヅ殪レ、獨乙、オーストラリア帝國ガ殪レルト謂フ具合ニ成リ、
且ツ 「 ウイルソン 」 等ガ
世界大戰ハ帝國主義ニ對スル 「 デモクラシー 」 ノ戰デアルト謂フ事ヲ世界ニ宣言シ、
日本代表ノ石井大使モ同ジ事ヲ聲明スルト謂フ様ナ有様デ、
世界ノ風潮從ツテ日本ノ風潮ハ 「 ウイルソン 」 ニ非ラザレバ
「 レーニン 」 「 トロッキー 」 デアルト謂ハレ、
日本ハ獨乙ト同ジ帝國主義ヲ以テ
獨乙ト同ジ運命ヲ辿ルモノダト謂フ様ナ氣運ガ漲みなぎリ渡ツテ居ル時代デアリマシタ。
私ハ、其ノ改造案ニハ、全般ヲ通ジテ帝國主義ヲ強調シ、
日本ノ如キ領土狭小ノ國家ニ於テハ、
國家ノ生存權トシテ侵略主義モ亦日本ニ於テハ正義デアルト主張シテ居リマス。
ソシテ改造案全體トシテ観ルトキハ、
日本帝國ヲ大運營ノ如キ組織トナスベシト謂フ精神ヲ以テ記載シタノデアリマス。
從テ當時 「 レーニン 」 ノ政府ニナツタガ故ニ、
露西亜ハ満洲ニ於ケル侵略ヲ停止スベシト云フ様ナ空シキ期待ガ支那ノ當局者、
又ハ日本ノ輿論ニ行ハレテ居ツタノニ對シテ、改造案ハ 「 ロマノフ 」 朝デアロウト 「 レーニン 」 政府デアロウト、
日本ハ露西亜ヨリ奪フコトニ變リナシトマデ明言シテアリマス位デアリマス。
其ノ當時 ( 大正八年 ) ハ、日本國内ニ於テモ、頻々ひんひんトシテ 「 ストライキ 」 ガ起リ、
米騒動ガ起リ、大川周明ガ上海ニ私ヲ迎ヘニ來タ時ニハ、
東京ノ全新聞ハ悉ク不可能ノ 「 ストライキ 」 デアルト云フ様ナ狀態、
世界ノ風潮ガ、日本ヲフキマクツテ居ル最中デアリマシタ。
私ハ丁度ソレヲ書キ終ツテ居リマシタノデ、大川ニ交附シタ。
天皇大權ノ發動デ日本ヲ改造スル様ニ論述シテアル主意カラ、
革命的運動者ト行動ヲ共ニセズニ、
吾々ハ何処迄モ一天子中心ノ國家主義改造デ進マネバナラヌト云フ事ヲ確ク約束シマシタ。
大川ハ一泊ノ後、日本ニ歸リマシタ。
私ハ同年十二月末上海ヲ出發シマシタ。
私ハ靈感ニ依ツテ、當時ノ東宮殿下ニ法華經ヲ献上スベク、ソレ丈ケヲ持チマシテ、
大正九年一月始メニ東京ニ着イテ猶存社ニ入リマシタ。
法華經ハ小笠原長生氏ノ手ヲ通ジテ非公式ナガラ殿下ニ献上ガ叶ヒマシタ。
爾後、同小笠原氏カラ承リマスト ( 虎ノ門事變後 )、恐多クモ最モ御手近クニ置カレテ居ラレルトノ事デアリマス。
其後、虎ノ門事件ト謂ヒ桜田門事件ト謂ヒ、其他共産党ノ不敬ナル未遂事件ト謂うヒ、
神佛ノ御加護ガ殊ニ今上陛下ニ深甚無量デアルコトガ思ヒ當ラレルノデアリマス。
大正十年一月御成婚問題ノ事ガアリマシテ、
大川周明、満川亀太郎、島野三郎、私等幾分臣民ノ本分ヲ盡シタ事ガアリマス。
今日日月竝ビ輝クヲ仰ギ見テ、殊ニ東宮殿下ノ御降誕ヲ見ル等、益々御聖徳ヲタタヘマツル次第デアリマス。
大正十二年後藤新平ガ 「 ユツフエ 」 ヲ聯レ來マシテ、日本ノ輿論モ思想界ノ全部モ、
悉ク「 ユツフエ 」 ヲ支持シ、礼賛スル奇怪ナ狀態デアリマシタノデ、
私ノ一人ノ責任ニ於テ露西亜ノ承認スベカラザル所以
及不日 日本ハシベリヤニ對シテ發言スルデアロウト云フ事ヲ、
私トシテハ、相當論理的ニ書キマシタ。三萬部程印刷シテ配布致シマシタ。
其ノタメニ政友會、加藤高明氏ノ立憲同志會ガ其ノ議論ニ一致シテ呉レマシタノデ、
後藤新平及ヨツフエノ計劃ハ一時其ノ爲ニ頓挫シタノデアリマス。
之ハヨツフエ君ニ敎フル公開狀トシテ、西田ガ編輯シマシタ。
日本改造法案附錄ニ載セテアリマス。
其後、昭和七年 五 ・一五事件ノ時、
海軍ノ士官ガ 「 ロンドン 」 條約ニ依ツテ奮起シタト公判廷ニ於テ論述シテ居ルニ拘ラズ、
反ツテ其ノ元兇デアル牧野ニ對シテハ、門前カラ一發ノ爆彈デ胡魔化シタ丈ケデ過ギ、
ソシテ ロンドン條約ノ時ハ、
末次等ト死物狂ニナツテ働イタ西田ヲ襲撃サセルト云フ様ナ、誠ニ奇怪ナコトヲ私ハ見マシタノデ、
私ハ過去ニ於テ、支那ノ第一革命時、
實際ニ働イタ盟友ガ四人モ五人モ同志ノ權力慾ノタメニ暗殺サレテ居ル苦イ經驗カラ、
益々世ノ中ニ對シ厭世的えんせいてきノ様ナ考ヲ懐イテ、自分ノ行クベキ途ハ祈リノ途デアリ、
神秘ノ世界デアルト信ジマシテ、益々訪客謝絶シテ専心信仰ノ修業ヲ努メテ居リマシタ。
只 五 ・一五事件一月程前ニ、日佛同盟ニ關スル建白書ト云フモノヲ秘密ニ尠數部謄冩シテ、
當局者ノ方々ニ送リマシタ事ガアリマスシ、
昨年七月對支投資ニ於ケル日米財團ノ提議ヲ、同様尠數部印刷シマシテ、
財界有力者ニモ意見一致ヲ求メマシタ。
昨年十一月、支那ニ行コウトシテ居ツタノデアリマス。
廣田外相ガ永井柳太郎君ニ頼ンデ一寸都合ガアルカラ出發ヲ見合セテ呉レトノ事デアツタノデ、
今年ノ春ニナツタナラ行コウトシテ居ツタノデアリマス。
私ハ國際關係ヲ離レタル國家改造案ト云フモノガ有リ得ナイト考ヘマスノデ、
私ノ支那行キモ見方ニ依レバ其ノ實行ノ一部トモ謂ヘマスガ、
實ハアノ日本改造法案ト謂フ名前ハ、其ノ内容カラ云ヒマス時ハ正當デハアリマセンノデ、
寧ロ大帝國建設案大綱トデモ謂フベキモノデアルト考ヘテ居リマス。
其ノ意味デ支那行キヲ計劃シテ居ツタノデアリマス。
重臣ブロックラ對スル私ノ考ヘハ、
世人ハ、陸軍又ハ海軍ガ、重臣ブロックニ何等カ含ム処アル様ニ考ヘテ、
陸海軍側から働キカケル様ニ信ジテ居リマス。
然シ重臣ブロックト謂ヘバ、牧野ヲ中心トシタモノデアリマスガ、
之ハ明カニ海軍ニ對シテ重臣等ノ無法ナル干渉カラ起キタ事デアリマス。
ロンドン會議ハ佛モ伊モ既ニ脱退シタノデ日本丈ケ殘ツテ居ナケレバナラヌ義理モ理由モアリマセン。
殊ニ財部ノ如キハ 「 ロンドン 」 デ二度モ引揚ゲヲ決心シテ居リマス。
ソレニモ不拘、東京デ牧野、幣原等ガ主トナツテ英米二國大使ノ恫喝ニ盲從シテ、
東京カラ條約調印ノ訓令ヲシテ居ルノデアリマス。
財部ハ辭表を懐ニシテ、「 シベリヤ 」 カラ朝鮮ニ着キマシタ。
朝鮮總督ノ齋藤實ハ、財部ノ辭職ハ内閣ノ轉覆ニナルノデ呉カラ谷口ヲ呼ンデ後任ノ軍令部長ノ約束ヲ致シ、
東京ニ歸ルヤ直チニ軍令部長加藤、次長末次ヲ馘ツテ、無理ニ強行シヨウトシマシタ。
當時ノ東郷元帥ヲ議長トシテ軍事參議官會議ノ奉答文ノ内容ハ、
ロンドン條約御批准スベカラズ、ト事實ヲ明瞭ニ書イテアルノニモ不拘、
樞密院ニ批准ノ時ハ軍事參議官ノ奉答文ハ、軍ノ秘密事項ナルガ故ニ提示スルヲ得ズ、
ト云フ様ナ三百代言ノ如キ理屈ヲ竝ベ、提示ヲ拒絶シ、
樞密院ヲモ無理ニ強行通過セシメタノデアリマス。
草刈少佐ハ自殺シ、浜口ハ暗殺サレタ時ニナツテ、牧野、齋藤等ガ枕ヲ高クシテ寝レル道理ハアリマセン。
後、五 ・一五事件ノ公判ノ時、
海軍士官等ハロンドン條約ニ憤激シタト云フコトヲ陳述シテ居リマスガ、
犬養ハ野党デ政略的ニロンドン條約攻撃ノ尻馬ニ乗ツタノデアリマスシ、
牧野コソ刺殺スベキモノデアルノニ不拘、牧野ヲ胡魔化シテ通ツタト云フ事ハ誰モ云ヒマセン。
反ツテ牧野ヲ討チ漏シタノハ殘念ダ、殺スベキモノハ牧野デアル、
ト云フ聲ガ津々浦々マデ渉リマシタノデ、牧野ハ五 ・一五事件ノ時、危險ヲ逃レタガ、
五 ・一五事件以來ハ海軍以外ノモノカラモ ノロハレルコトヲ自分デ知リマシテ、
ソシテ海軍ノ正義派ト近イ陸軍ノ將軍等ニ對シテモ、常ニ恐怖ノ念ヲ以テ見テ居ツタ事ハ想像サレマス。
昨年ノ眞崎敎育總監更迭問題ニ對シテ、牧野、齋藤ガ統帥事項ニ係ル事ヲ承知シナガラ、
陰カラ魔ノ手を延ベタト云フコトモ想像サレマス。
即チ牧野、齋藤等ノブロックニ取ツテハ、
陸海軍ト自分トノ關係ハ、殺スカ殺サレルカ、喰フカ喰ハレルカノ絶對ノ境地ニアツタモノデアル。
海軍ニ關シテハ、兵力量ノ點ニ於テ、陸軍ニ對シテハ人事異動ノ點ニ於テ、
彼等重臣ブロックハ明カニ陸海軍ヲ擾亂シ、身ノ危フキノヲ守ラウトシタノデアリマス。
私ハ十分ノ十分迄、重臣ガ惡クテ陸海軍ガ惡クハナイト思ヒマス。
事實、鈴木貫太郎氏ノ如キハロンドン條約ノ關係ノ人デアリ、
渡邊敎育總監ノ如キハ、
重臣ブロックニ依ツテ前總監ヲ押シノケテ居座ツタモノデアルト云フ様ニデモ見ラレテ、
今回ノ襲撃目標ニ、選バレタノデハナイカト想像サレマス。
即チ今回ノ襲撃サレタル重臣等ハ、改造方面ニ於テハ、何等關係ナク、
陸海軍ノ統帥事項ヲ蹂躙スルモノナリト云フ理由カラ、
陸海軍靑年等ノ陸海軍ノ自己防衛カラ行ハレタモノデアルト考ヘラレマス。
陳述人 北一輝事 北輝次郎
右錄取シ讀聞ケタル処、事實相違ナキ旨申立ツルニ附、署名拇印セシム
昭和十一年四月十七日
東京憲兵隊本部
陸軍司法警察官 憲兵少佐 福本亀治
筆記者 陸軍憲兵軍曹 丸山正夫
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