あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

大蔵榮一大尉の四日間 1

2019年11月14日 17時12分33秒 | 赤子の微衷 4 後事を托された人達 (末松太平、大蔵榮一、佐々木二郎)

 
大蔵栄一

おい、顔が真っ青だぞ

二月二十六日は、静かに明けた。
どんより曇った朝であった。
各隊の週番士官の、異状なし という報告を週番指令室で受けた。
朝食を終わったころ、
佐々木二郎大尉がひょっこり週番指令室にはいってきた。


佐々木二郎大尉 

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それまではいつもの通りおだやかな週番指令室であったが、
佐々木の一言で、俄然空気はかき乱された。
「 東京では、今朝、高橋の だるま ( 高橋是清蔵相 ) が やられたらしいな、
 あんたは、だれがやったか想像はつかんですか 」
「 高橋だけか 」
「 どうもそうらしい 」
「 貴様ッ、どうしてそれを知ったんだ?」
「 いま、経理室で地方人が、けさラジオで聞いたと話していたのを聞いたばかりだ 」
高橋蔵相ひとりだけというので、私はひそかに安心した。
「 まさか、連中が事を起こしたのではないだろうな・・・・?」
佐々木は東京の同志に、一抹の不安があるようだ。
「 高橋ひとりだけらしいから、磯部らではないことは明確だ、安心せエ 」
私は、東京の同志のしわざではないことを断言した。
五 ・一五のときといい、今度の場合といい、私の判断はいつも甘いようだ。
それも内容に精通しすぎていた結果が、かえって甘い判断となったのだろうか。
「 じゃ、だれがやったんだろう?」
「 院外団か何かのしわざじゃないかな、よくわからんが・・・・」
佐々木は、まだ心配そうであった。
「 もう 連隊長はきておられるだろう、連隊長には一応早く耳に入れていた方がいいだろう。
 貴様、聞いた通り報告しておけよ 」
「 そうだなァ 」
と、佐々木は部屋を出て行った。
出て行ったと思った佐々木が、すぐ引き返してきた。
「 連隊長が、あんたもいっしょにつれてこいといっている、すぐきてくれ 」
私は佐々木につれられて、連隊長室にはいった。
「 ちょうどいい、二人いっしょに聞いてくれ。
 いま東京に起きた大事件の状況が、情報として一部はいったばかりだ 」
と、連隊長は息をのんだ。
「 今早朝、在京部隊の一部が蹶起して、大官を襲撃した。
 即死せるもの 岡田首相、高橋蔵相、渡辺教育総監、鈴木侍従長 ( 貫太郎 )、
などで、その他まだあるようであるが不明。
蹶起部隊を指揮せるもの、野中大尉、香田大尉、栗原中尉、村中、磯部などで、
警視庁や麹町地区を占拠しているらしい。 その他はよくわからない 」
連隊長の顔は悲痛にゆがんでいるが、よく思い切ってやってくれた、
という感激の色がほのかに動いていた。
「 ・・・・」
私は無言のまま連隊長を見つめるのみであった。
無茶をやったという不安と
、よくぞやったという喜びと感激、すべてがごっちゃになった。
いまだかつて味わったことのない、感情の坩堝の中に投げ込まれたような気持ちであった。
連隊長の部屋をどうして出たかもわからぬくらい大きなショックであった。
週番指令室に帰ったとき、佐々木大尉が
「 大蔵さん、あんたの顔が一瞬真っ青になったぞ 」
と いった。
最初は耳を疑ったけれども、事実東京では大事件が惹起しているのだ。
連隊長の話では相当の大部隊が動かされているらしい。
だが、その後の推移は全く不明であった。
連隊長に聞いてもわからないし、
師団司令部でも東京との連絡がとだえているとのことであった。


朝山小二郎大尉
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午後になって、
野砲第二十五連隊から朝山大尉がかけつけてきた。
佐々木大尉と三人で鳩首きゅうしゅ協議をしたが、手のほどこしようもなかった。
とにかく、目下の急務として各連隊ごとの意見をまとめて維新的に統一し、
逐次それを師団に及ぼす以外に方法はない、
という結論を得て、
各自全力を傾注しようということになった。
その後、憲兵分隊長安野少尉がたずねてきたが、東京の情勢は依然として不明であった。
東京の異変は、またたく間に全連隊に広まった。
とくに若い将校連を異常に刺激したようであった。
連隊内の空気は、連隊長をはじめ 多くの人たちによって、
拍手喝采とはいかないまでも
「 よくぞやった 」
という気持ちで迎えられていた。


流血、邦家を浄め得るか
昭和十一年二月二十六日、
この日は私にとって生涯忘れ難い一日となった。
驚天動地の東京の大混乱は、私の眼底に彷彿として現じては消えた。
同志の颯爽たる姿を一人一人思い浮かべては、その成功を祈りつづけた。
とくに朝、連隊長から事件の概要を聞いたさい、
指揮官の名前の中で一番最初に野中四郎大尉があげられたときの私の驚きは、
全身の血潮が一度にひいてしまうようであった。
  野中四郎 
前述したように、野中大尉はあらゆる会合にほとんど顔を出したことのない人であった。
その野中大尉が蹶起したことは、
この事件のスケールの大きさを、誰よりも私に実感させるのであった。

忙殺された一日が終わって、夜のとばりのおろされるころ、
連隊内はうしおがひくように静かになった。
私は、はじめてひとり週番指令室に黙想する機会を得た。
『 一滴鮮血邦家 』、だれかの句が脳裏に浮かんだ。
果たして流された尊い鮮血によって、国家が洗い浄められるであろうか。
何としてもこの非常事態を契機として、日本がほんとうの日本に立ち直るために、
この際、徹底的に出すべき膿を出してしまうべきであろう、
一歩もひくことは許されない。
ここは東京を遠く離れた北鮮羅南という辺境の地だ。
単身飛び出して馳せ参ずることは、とうていできそうもない相談である。
この地でのこの事態に対処するためにはどうしたらいいのか。
私は、とつおいつ熟慮を重ねた。
本朝来、東京の一挙に対して、連隊の空気は決して悪くない。
むしろ好感をもって迎えている気配が濃厚である。
東京の蹶起が不幸にして一歩を誤らんか、日本の命運は、逆賭げきとすべからざるものがある。
これを阻止しようとする勢力もまた、決して侮るべからざるものがあるはずだ。
その後の状況は一切不明であるが、躊躇すべきときではない。
全国に散らばっている同志に電報で檄を飛ばすのだ。
それによって各地方ごとに いわば藩論を統一して、東京をつき上げるのだ。
この地方の支援によって、東京の一挙を成功に導き、維新への巨歩を踏み出してもらいたい。
私は祈るような気持ちで次のような電文を書いた。
「 ( 前略 ) 軍人といわず民といわず、むらがりきたるやからに対しては、
徹底的殲滅せんめつを敢行せざるべからざる 」
次に私は 連隊を維新的に統一するために、
明朝、尉官会をまず開催すべきであると思って、
その趣意書を書いた。
その文章は いま記憶にないが、概略次のような趣旨であった。
「 今や、帝都において大動乱が巻き起こされている。
 この動乱は、権勢欲からする不純なクーデターではない。
新生日本の誕生のための陣痛と見るべきである。
この一挙を躊躇逡巡しゅんじゅんによって一空せんか、
わが国の前途まことに憂惧すべきものがある。
・・・・ここで われわれ辺境の守備に任じているものの特に意を用うべきは、
混乱化している日本の弱点に乗じて、国境を窺わんとするソ連の動向である。
あるいは杞憂に終わるかも知れない。
だが、われわれとしては、
この非常の秋に際して緊褌一番きんこんいちばん、国の内外を凝視して、
悔いを千歳に残すごとき過誤なきを期さねばならぬ。
それがために尉官一同一堂に会し、諸情勢を検討討議し、
連隊長を中心に連隊の結束を固めること、また 意義なきことではなかろう  」
書き終わったのは夜十二時ごろであった。

大蔵栄一 著
最後の青年将校
二・二六事件への挽歌
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