あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

大蔵栄一大尉の四日間 3

2019年11月11日 16時15分35秒 | 赤子の微衷 4 後事を托された人達 (末松太平、大蔵榮一、佐々木二郎)

 
大蔵栄一

《 二十八日 》

独断で東京へ行ってくれ
翌二十八日の午後二時頃であった。
私は、連隊長室に呼ばれた。
聯隊長はきのうと同じように、にこやかに私を迎えた。
「 君に頼みがあるんだ、まあ かけ給え 」
「 なんでしょう・・・・?」
「 実は 東京からの情報が、その後全く得られないんだ。
 師団の無電でもキャッチできなくて師団長閣下も困っておられる。
そこでだ、君に上京してもらって、東京の状況をさぐってもらいたいんだ 」
「 私に上京せよとおっしゃるのですか 」
「 そうだ、こうなったら公的の機関にたよるわけにはいかん、
 君の上京によって刻々得た情報を知らせてもらいたいんだ 」
「 師団長閣下もご承知ですか 」
「 閣下も了承ずみだ 」
「 じゃ、おことわりします 」
「 どうしてだ?」
「 師団の要求であれば師団参謀のやるべきことで、私の出る幕ではありません 」
「 本来ならばその通りだ。
 だが、東京の事情に詳しい君が、この際 最適と思うからお願いするわけだ 」
「 そうですか、それじゃあひきうけましょう 」
私は納得した。
「 命令を出すわけにはいかないんだ。君の独断で行ってもらいたいんだ 」
「 どういうことですか・・・・変ですね 」
「 別にどういうことではないのだが、そうする方がいいという判断からだ 」
聯隊長はいいにくそうであった。
「 独断で行くということは、いいかえれば、時期が時期ですから脱走することじゃないですか、
 旅行証明のない限り羅南で乗車することすらできんでしょう。
かりに汽車に乗って釜山まで行ったとしても、関釜連絡船で捕まってしまいますよ。
東京に行着くなど絶対に不可能です。 ちょっと考えただけでわかることじゃありませんか 」
私は、聯隊長の無神経さに驚いた。
天保銭を胸につけた連隊長も、こんなことは全く無知であった。
「 そうだなァ・・・・ちょっと待て 」
といって、聯隊長の憲兵分隊に電話をかけて分隊長を招致した。
かけつけてきた安野憲兵少尉に事情を訴えて意見を求めた。
「 大尉殿のいわれる通りです。 独断で上京などとは全く無茶です。
 師団長閣下がご了承の上であれば、明日午後三時、清津から新潟航路の船が出航しますから、
この路線を利用すればまだ可能性があるでしょう。
そのときは、憲兵分隊としては出港の前後一時間、警戒を解きましょう。
といっても、東京まで行きつくかどうか、保証のかぎりではありませんですよ 」
「 なにぶんよろしく頼む 」
と、聯隊長はかすかに頭を下げた。
私は変だと思いながらも、東京に出て見たいという気持ちも動いて、聯隊の要請に応ずる決意をした。
「 週番勤務をどうしますか 」
「 そうだ、木村軍医正を呼ぼう 」
聯隊長は、さっそく軍医正を呼んで、形式的な診断の結果、風邪ということにして葛西大尉と交代した。
「 旅費の手持ちがありませんが・・・・」
「 いくらぐらいあったらいい・・・・?」
「 百円もあればいいと思います 」
聯隊長の指示によって、経理部からその百円が直ちにとどけられた。

聯隊長と打ち合わせを終わって、私は佐々木大尉に会った。
上京することになったいきさつを話して、留守中のことを頼んだ。
「 そりゃいい、東京に行ったら みんなによろしく頼むぞ。
 あとのことは心配するな、それにしても聯隊長がよく思い切ったもんだなァ・・・」
と、佐々木は喜びながらも、何となしに割り切れぬ様子であった。
夜、私はどてらのままふとんにもぐり込んで寝たが、東京のことを思うとなかなか寝つかれなかった。
ラジオを枕もとにおいてかけっぱなしにしていたが、事件に関しては依然沈黙を守りつづけていた。

大蔵栄一 著
最後の青年将校
二・二六事件への挽歌
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