大蔵栄一
暁のショック、撤兵勧告打電へ
夜、私はどてらのまま ふとんにもぐり込んで寝たが、
東京のことを思うとなかなか寝つかれなかった。
ラジオも枕もとにおいて かけっぱなしにしていたが、
事件に関しては依然沈黙を守りつづけていた。
《 二十九日 》
とうとう夜を徹してしまった。
二十九日の東の空が白くなりはじめたころ、私はついうとうととていた。
「 ・・・・戒厳司令部発表 」
突然、私の耳に響いた。
一瞬、私は身のひきしまるのを覚えた。
全身を針のように緊張させて、ラジオに食いつかんばかりに身構えた。
ラジオから飛び出す言葉は、ことごとく予想に反したむごい言葉ばかりであった。
『 叛乱軍 』 という言葉がまず意外であった。
『 大命 に抗し 』 て なお頑強に麹町一帯の台上にがんばっているとか、
攻撃軍は逐次包囲網をちぢめつつ、
皇軍相撃の最悪の事態もやむを得ない様相の迫りつつある状況を、
アナウンサーは悲痛な声をしぼり上げて放送し続けた。
『 兵に告ぐ 』 の 一文が、切々として読み上げられた。
私は耳を覆いたいような衝動にかられた。
何かの間違いではないだろうか。
しかし現実は悲しい現実として受け取る以外に方法のない、刻々の放送である。
「 村中よ、香田よ、安藤よ、磯部よ、貴様らは何を血迷ってまで 大命に抗しようとするのだ・・・・」
私は彼らの悲痛な心情を察しながらも、彼らの行動に対して、少なからぬ憤りを覚えた。
この血迷った同志に対して、私は彼らの心友として、最後の忠言を叩きつけてやりたかった。
だが、雲烟うんえん万里を隔てたこの羅南の地からは、どうすることもできなかった。
いらだたしい私の耳に、ラジオから流れる無情の声は、次から次に響いた。
「 今からでも決して遅くない・・・・軍旗の下に復帰せよ・・・・」
「 ・・・・お前たちの父兄はもちろんのこと、国民全体もそれを心から祈っておる・・・・」
私は、もう聞くに耐えなかった。
悲惨な結末に打ちひしがれた私が
ラジオのスイッチをひねろうとして手をのばした、その瞬間であった。
「 最後の忠告の方法はある・・・・」
ラジオから得たヒントは、師団司令部の無電を利用することであった。
大命に抗してまでも闘い続ける理由はない、大命は絶対でなければならぬ。
いかなる理由があってもそれは理由にならぬ。
一刻も猶予すべきではないと決心した私は、どてらのままスリッパをつっかけて、雪の道を走った。
軍服に着替える時間がおしかったのである。
野砲の朝山大尉の官舎を叩き、二人で佐々木大尉を誘った。
みちみちの私の得たヒントによって、最後の忠言を蹶起の友に伝えようと諮はかった。
二人とも文句なしに賛同した。
・
まず 師団副官の星野騎兵少佐の門を叩いた。
副官に、私たちの意図を師団長に伝えていただくことをお願いした。
「 ヨーシわかった。さっそく伝えよう 」
師団副官は、二つ返事で承諾した。
「 このことは聯隊長を通じてお願いすべきでありますが、 こと緊急を要しますので独断でやってきました。
できますならば同時に七三の連隊長瀬川大佐と、野砲二十五連隊長とを招致していただいて、
同席してもらえれば有難いと思います 」
私は、聯隊長同席の方が話がスムーズに運ぶと思った。
鈴木美通師団長、柳下重治参謀長、両聯隊長が、師団長官邸に集まるのに、そうたいして時間を要しなかった。
私は、まず上述の理由を述べて、師団無電の使用をお願いした。
師団長 鈴木美通中将
「 だからオレが日ごろからいわんことではなかったんだ。・・・・無茶やりおって・・・・」
師団長は、かんですてるようにいって、その態度はすこぶる冷淡であった。
私は、この期に及んで、何という愚劣な奴だと師団長鈴木中将がにくらしかった。
「 閣下、三人の申し出はいいことではありませんか、
尽くすべき手段を尽くすことは、この際躊躇すべきではないと思います。
三人の希望を入れようじゃありませんか 」
柳下参謀長の一言で、師団長も不承不承ではあったが承諾した。
『 理由のいかんを問わず直ちに兵をひけ 』
発信人は私ら三人として、受信者は香田清貞大尉とした。
香田清貞大尉を受信人とした理由は、村中はすでに軍服を脱いでいたし、
野中四郎大尉は最古参ではあったがあまり表面に出ていなかったし、
私の同期生でもなかったので、香田大尉がまず無難であろうという簡単な理由からであった。
この電文に第十九師団参謀長から、
『 右の電報を香田大尉に手交されたし 』
との電文をつけて、戒厳司令部参謀長安井藤治中将宛に打電することになった。
この無電が、彼らの手に渡って私らの意のあるところが通ずれば有難いし、
もしこの無電が間に合わずに騒ぎがおさまっていればそれも有難いと、私は思った。
いずれにしても皇軍相撃の不祥事の起こらないことを祈って師団長官邸を辞した。
朝山、佐々木と別れて家路をたどったが、
東京の同志のことを思うと私の足どりは重かった。
大蔵栄一 著
最後の青年将校
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