あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 皆御苦労だつた、御機嫌よう 」

2019年08月15日 10時49分19秒 | 坂井部隊

俺達は坂井中尉の許に行き先頭に立ちて平河町に向って行進する。
小原軍曹が路上斥候長で行ったのが今も目に映る。
濠の柳も枯れて水面が青白く、電車通りも人一人通らぬ上を警戒を厳しくして、
山王通りに出てお濠の坂を登り平河町の五叉路上に停止する。
私とMG荒木伍長、の二人が警戒につくことになつた。
LG一コ分隊MG一ケ分隊IG半コ分隊を以てこの道路上を何人も通さぬことにした。

軍人たりとも一歩も入れまじ、若し命に従はぬ時は直に射殺すべしと。
午前七時頃から軍人、一般市民の通勤者、乗合自動車、電車とも全部通行止めとし上司の命を伝へ帰す。
朝明けと共に天候も大分険悪になって来た。
道路上に居る時に雪がチラリチラリと降って来た。
寒さも大分度を増して来たが、何しろ防寒は箱をこわして燃やしているだけだ。
でも人員が多いので交代交代であたたまつた。
通行人達は物珍しげに立止まって見ている。
乗合自動車は折返し折返し運転しているようだ。
タクシーが兵隊に気合ひをかけられ追返されるように戻って行く。
雪も本降りになつて来た。
一時降っては亦小止みになつてはいるが、もう並木は白く花でも咲いていたようだ。
非常呼集で警視庁に向ふ警官も多数来たが他を廻って行かせた。
サイドカーで憲兵の少佐と特務曹長を乗せ上等兵が運転して来たので、
兵隊が 「 止れ 」 で止める。
「 ここは一切 通しません 」 と告げると、
俺は斯々の者であるが中隊長を呼んでこいと言ふので問答していると、恰度好い時に坂井中尉が巡察に来た。
「 本日は此処は通すことはできませんから 」 と言ふ。
「 我々は任務の為に行くのであるから通してくれ 」 と中々激しく口論していた。
兵隊も銃を構へていた。
憲兵も拳銃を構へている。
寸刻の差で行きづまつた状態になつた。
坂井中尉が 
「 あなた方は左様言はれるるが私達もこのように準備がしてあります。
 何時でも御見舞ひ申しますから一つ撃って見ませうか 」
と側に居る野々山二等兵に撃つて見よと命じた。
すると 初年兵さん好機来たりと何も考へず地上に向けて一発ブッ放した。
コンクリの道を少し傷つけ跳弾は石垣にあたり石を砕いて白く残し行方不明になつた。
ビューン の一声を残したまま別に人畜には危害はなかつた。
之に驚いた彼は
「 まさか 」 と思っていた処 実弾を撃ち、また LG、MGに実包が装填してあるのを見て
 早速将校さんは方向変換して帰って行った。
吾々一同 流石 坂井中尉だ などと思ったが?

戒厳令下達
警備の任を負ひて小藤大佐の指揮下に

午前九時頃、
麦屋少尉が巡察に来て、吾々に向つて
「帝都に戒厳令が布かれた。
 そうして吾々の部隊は第一師団長の指揮下に入って小藤大佐の直接指揮を受けることになつた」
とのことを 達せられた。
重ねて 第一中隊は現在の処で警備をすることになつている旨明示した。
この時殺人名簿を持ってきて、
左の者は直に射殺すべし 亦 現在地の通行を許す者等を達せられた。
殺人名は 林大将、南大将、宇垣大将等二十名程度あつたが
然し 我々には善人悪人は解し難いので困った。
将校の命でも 向ふの将校が上官の場合 少し手が出しにくくなつてくるのは人情で仕方あるまい。
雪がまた降って来た。
電車の軌道も凍って通行不能が随分多い。
凍りついた上淡雪のため車がすべつてしまうので平河町の坂路には自動車も大分参ったらしかつた。
寒い二月の末の空気は大寒の冷気を充分に吸ひ込んでいるので肌に沁みる。
朝から立通して雪の中に立哨する兵隊も参った。
交代が来なければ仕様がないなどと私語しているのが聞へる。
降ったり止んだりで昼間でも薄暗く 時間も不明だ。
物入れに手を入れて時計を見るのも億劫だ。
十時頃か、林伍長が部下分隊を引率して交代に来た。
近所の人が、たき木をくれたので火をドンドン燃して気炎を上げ、
別に之と言ふこともないので すぐ申送って中隊の位置に大急ぎで帰った。
主力は隼町の三叉路上に居た。

軒下に叉銃して その叉銃も真白になつて震へているかのように雪が積つていた。
天幕が一張りある。
分会の人が防寒用として建ててくれたといふ。
渡辺、新、青木、蛭田の各軍曹、北島伍長等が炭火を囲んでいた。
将校は何処に居るのかと聞くと、ここを少し行った旅館だといふので すぐ交代して来たことを報告する。
「 窪川分隊は林分隊と交代して来ました 」 
と言ふと 
高橋少尉はやおら顔を上げて
「 御苦労 」
と言った。
本江大隊長を中に坂井中尉 左に高橋少尉が腰をかけていた。
炭火を前に大隊長が
「 別に怪我はせんだつたか 」
と 言はれたので、
「 私の分隊にて怪我人は一名も居りません 」
と 答へて立つていると、
「 まあ 此処へ来てあたらんか 」
と 言はれたので少し手を出して暖をとつた。
坂井中尉も高橋少尉も皆 下に俯して一言も語らず静かだつた。
すぐその場所を引上げて兵隊の処へ来ると、聯隊から昼食を自動車で持つて来た。
新軍曹が給与掛だつたので、分配の役につく。
しかし公平に分配せず早い者勝で、遅く来たMGの方は何も取らぬ位いで相当避難が高かったが、
何とかして腹をつくらせた処に妙味があつた。
食事は四斗樽で持って来た。
綺麗なものだが、軍隊なればこそで、あの入れ物でも食ふが 地方だつたらふと 
身の程をも知らずに夢中でうまいもまずいも知るよゆうなく推して知るべしだ。
大洞特務曹長が兵隊と同乗し外套を持つて来てくれた。
寒さ防ぎの服が来た。
腹も大分ふくらんだ。
大隊長も来て居り 何とも言はないのだから 何となく安心だ。
そして元気もなほつた。
聯隊も出来るだけの援助はするから一生懸命にやつてくれ
などと同類が力づけて言ってくれたのも今、自動車の上の姿が思はれる
雪が本降りになつてきた。
寒さも厳しくなつた。
不惑から何となく不安な境地に立つような気持ちが時々襲ってくる。
淋しい心の中にしみ込んでくるようだ。
寒い雪の中で一晩立通したら聯隊の毛布と寝台が恋しくなつた。


平河町道路上警戒より新議事堂まで

半蔵門の処で第六中隊と共同で警戒して居る時、
丸、高岡両分隊の情況を見ようと
部下一名に外套を持たせて参謀本部の前を通って行くと、
六中隊は吹雪の中で火を燃やして暖を取っていた。
向ひ風の雪が顔に当り 冷たく猛烈に吹きかかるので胸板から足まで白くなつてしまつた。
居る、居る、半蔵門の三叉路上に わら縄を張って通行止めにしている。
丸は三叉路角の大きな電気器具販売店の中で電気爐にあたつていた。
外の兵も同じ。
道路上には通行人が立止つて見物している。
怪我はないかと問ふとみな元気だと三十分位い暖を取り、お茶を御馳走になつて帰る。
高岡は半蔵門の軒下で警戒していた。
粉々として降る雪、帝都の中心地帯は通行止めのため、ひつそりとして降る雪に埋もれて行くようだ。

夕方になり
下士官全員集合の場で今晩はこの付近で村落露営を行ふよう伝達せられ、
中隊全部隼町の三叉路上に集合し、各分隊はそれぞれ付近の民家に宿営することになつた。
私はクリーニング店の洗濯場を借り早く引越す。
炭火を真中にして八人が囲む。
一名づつ歩哨に立たせて一時間交代で過ごす。
一晩一回立哨で済む。
家と外では温度の差が大分あるので立哨から帰ると手足が凍りつくようだ。
厳寒なので可哀相だつた。
軒端の間から大道に流れ出る寒い風が、ピユーと嫌な音を立てて
並木の側に立つ歩哨の顔をツーツとなでる時、
前日から靴下まで濡れた足先が凍っているのでその寒さが一層強く身に沁みるようだ。
アスファルトの道も雪が凍りついて凸凹になり歩くのに油断できない。
まして坂道だ、少しでも中心がはずれたら尻餅をつく。
こんな有様で眠むい一晩を炭火で通した。
主家の妻君が暖い料理を作って兵隊を慰めてくれた。

午前六時、
家の中を片付けて引上げた。
三叉路上で朝食の分配だ。
飯盒を集めて食ふ。
民家でも白米の飯を炊いて握り飯に醤油をかけた味のよい飯をくれた。
感謝せずには居られなかった。
命令により集合、
三叉路角の黒い壁に三階建の土蔵のある大尽の家の軒下で全員休憩、雪を全部取り除く。
中隊、MG小隊は箱木を燃して暖をとるも話は出ない。
将校も出てこない。
情況は不明だが心配は無用だ。
皇軍の将校の指揮下にあるからなどと呑気だ。
出発命令が下った。
丁度私の分隊が天幕を借りたので返しに行き少し遅れた。
何処に行くのか知らず、地図もなくこんな込み入った処は生れて初めてだ。
夢中の内に新議事堂の処へ来た。
中に入ってみると第六中隊の強者が全部来て居る。
安藤大尉は元気だ、何時もニコニコ顔が彼の人相だ。
入口の処に前聯隊長井出大佐と酒井中佐が居た。
中で携帯した炭火をたき、
青木、小原、新、私の者たちが二日もろくに寝ずに馬鹿げなことだなどと横になつて寝たが、
身体中がゾクゾクするのですぐ起きた。

二日目の日も早く過ぎた。
雪は止んだが五、六寸積もった。
夕刻聯隊から夕飯が自動車で届けられた。
今度は心配することなく充分持つて来た。
皆遺漏なきよう寒さに震へ乍ら食ふ。
時に午後五時なり。
堂込曹長が何かを読んでいたので聞くと蹶起趣意書だ。
お前達は持つていないのかと言ふので、
ありません と答へると渡されたので兵隊の前で読んだが、
頭の程度が違ふので読むのに骨が折れ抜かさないと読めない。
堂込曹長に頼むと曹長も私と略々同等で中途で切上げたが中々の名分だ。
野中大尉が週番司令の時 書いたとのことである。


山王幸楽より陸相官舎に立ち入るまで
雪の中に居ること半日、又二日目の夜が来た。
午後七時半頃高橋少尉から幣一名連れて坂井中尉の許に行けと命ぜられ急いで行くと、
坂井中尉と堂込曹長、渡辺曹長が居た。
全部集合すると五人は自動車で暗い道を山王の幸楽料理店に行った。
新しい綺麗な家作りだ。
部隊収容のため到着迄に宿舎割をするように言はれ 準備をする。
第一中隊と第六中隊の部屋を決め、
第一中隊は1、2小隊、MGに割り、ついでに入浴場を見て歩く。
三十分程で本体到着、軍靴を脱いで上にあがる。
久しぶりにたたみの上に横になる。
部屋が綺麗なので驚く者あり、射撃した銃を全部手入れする。
大勢だから早く終わる。
入浴に入る。
小さい風呂だつたが大部分入った。
イイ気持ちだが安心、不安の感が常に交錯する。
外套を着て早く寝ると坂井中尉が来て全員を起す。
午後十時頃だらうと思ふ。
兵隊も目をこすりながら起きる。
座つていると中尉が
「今回我々が決行したことは本当に良いことであつて、
陛下の赤子の手足と頼ませらるる軍人の任務である。
建国以来の健軍の本義に立脚して最も軍人として名誉とする処 
亦 最もの手柄であると信ずる。
実に我々の心を汲んで
軍上層部では吾々の行動に賛成し好意を持て居てくれるから心配はない。
今後も将校の言ふ通り奮闘するように」
と 簡単に切上げて帰った。
これを聞いて兵隊も安心したのか横になると高イビキで皆寝た。
ガス暖爐の側で良い気持ちで寝る、暖い、昼の疲れも忘れて死んだようだ。
十一時頃また坂井中尉がきて兵隊を起す。
内田伍長は半分眠つているのかフラリフラリとして居る。
「我々の意見具申は真崎大将に総理大臣になつてもらい
政治を正して祭政一致を図る意志である」
と 言ふことを話してすぐ帰った。
何しろ畳の上を恋しく思ひ、二晩も寝られないのだから眠いことこの上もない。
話など明日にして下さいと云ひたい程
心身共に真綿のようになつていたのが今も思ひだされる。
コクリ、コクリと遠慮せず無ざまた゜。
でも下を俯しているので見苦しさは少ない。
早く帰ればよいと思っている。
兎に角下士官兵は可哀相だ。
寝台が恋しくなつてきた矢先、朝迄ゆつくり休む考へで一杯だ。
雪は未だ止まず、降ったり止んだりしている。

二十八日午前九時頃、命令で出発準備、
その間に差入れの晒しや国旗に尊皇討奸などと書いた。
赤いサラシが第六中隊、
第一中隊は白の晒で坂井部隊等記入したが
意気実に盛んなものだつた。
玄関より一度に繰出す事が出来ない為に六中隊のあと一中隊が出た。
入口前の車廻し付近は両中隊の兵で一杯になり身動きも出来ない程だ。
情況が悪くなつたのか面会室に安藤大尉、坂井中尉、高橋少尉、安田等の将校が集まり
忙しそうに緊張した面で外方との連絡を取っていた。
やがて将校も玄関の所に出て来た。
互に交す言葉から
次第に事件の拡大と共に吾々の方が不利になつてきたらしいことが感ぜられた。
話の様子では吾々は反乱軍として攻撃を受ける立場になつているらしい。
その二、三の理由はこうだ。
町の角々や重要道路上には土嚢が置かれ鉄条網が張られており、
相手方服装は防弾服、戦闘帽に鉄帽で警戒至極、
吾々とは全く異つた行動をとつていることだ。
でも そんなことに気をもむような気の小さい者は居ない。
(我々は将校の命令によつて一切の行動をとれば問題はないんだ) 
位いにしか考へていないのだ。
馬鹿なものは下士官に兵 
一生長生きの口で呑気に腰を据えて時期の到来を待っているだけだ。
俺の首切問題など他人事、
明日をも知れない命を最後迄歩兵軍曹を継続せしめようとは
少し気が太いように思はれたが仕方がない。
今考へれば当時の心境は実に果報者だつた、
須く人生は斯くの如くありたいものだと つくづく思ひ出される。
結果が悪ければ全員二重橋の前で腹を切り 
陛下に御詫びすればそれで一切終わりだなどと、大勢の前で気炎を上げる兵も居た。
坂井中尉が悲痛な面で下士官兵に向ひ
「最早吾々の行動に付けは一切批判は下さぬ、
勝てば官軍 負ければ賊の明治維新の大西郷の言葉のとうりだ、
将校各位の腹は決まった。
下士官兵も最早如何にせん方なし。只
々上官指揮下にありて行動するのみ。他に手段なし」
と言ふような説明があつた。
時に大寒の風に吹き枯れた 二月二十八日午前十一時、
それより正午の間幸楽の門前には大勢の市民集り
成行き如何と恐る恐る立止って見て居る。
天候も又雪空となり降り出してきた。
朝食が遅れたが各人に折詰が一つづつ渡った。
昼時になれば気になつてくる。
命令によつて頂戴す。
立食は寒く喉も通らぬ位いだ。

正午過ぎ 歩兵第一聯隊長(相沢中佐の判士だつた)小藤大佐が来られた。
安藤大尉と道路端で立話を始めた。
大尉が近歩その他の部隊が我々を攻撃する由にて、
道路に鉄条網を構築し服装等も違へて吾々の方に向って警戒をなしている由、
皇軍相撃と言ふことは私達の考へ及ばぬことでありますがと、
随分強烈な言論を以て大佐を攻め立てた。
大佐は心配相な顔をして小声で安藤大尉を落付かせている。
兵隊は大声で盛んに軍歌を歌ひ志気を上げている。
寸前の大過を知らずに安心立命も何のその、
大悟徹底していたことは相当なものだつた。

坂井中尉、高橋少尉が
自動車に乗って参謀本部、陸相官邸附近を偵察するとのこと、
私と青木軍曹が随行し四人乗りて行く。
降る白雪が顔に当って冷たいが勇ましい。
帰ってくるとすぐ出発だ。
第一中隊は参謀本部に向つて行進する。
無人の境を行くが如くはこのことか、
電車も自動車も通らぬ町を部隊は参謀本部の前に行く。
私の分隊は参謀本部と林野局と議事堂の四叉路上で警戒にあたつた。

夕方も雪風で冷たく肌に沁み込む。
内田伍長と二人で協同しての警戒だ。
議事堂の作業場の材料を持ってきて燃して暖を取る。
不安もなければ何も判らない。
何の目的で警戒しているかも明瞭にし知らぬ。

午後七時過ぎ、
林伍長、青木軍曹が交代に来る。
折角燃へ初めた木材を全部申送って帰る。
陸相官邸には中隊の警戒出動の残員が電気コンロで暖まっていた。
生れて初めて 陸軍大臣にでもなつたような気分で官邸に入る。
俺の家の税金も幾分かかつているだから少し位いはと思っていた。
然し 家の中は綺麗だ。
立派な椅子と絨緞を張った床面、土足で歩くのが勿論気の毒な位いだ。
兵隊は遠慮せずに皆腰をおろしている。
家の作り部屋の内部も国の財産の一つだけに立派になつている。
洋画が二、三点懸っている。
また昼の疲れが出て早くも椅子に寄りかかって白河夜船の姿になり、
楽しい夢の国に行ったような気持ちだ。
四叉路上にMGの鳥羽が重機二銃を陣地に据えて寝ている。
防寒具は外套だけ、感心なものだと思った。
官邸のの入口に来ると、鉄門の処に久保田上等兵が衛兵のような気分で、
営内にでも居る時のようにして濡れた薪木を吹き吹き燃している。
三日三晩夢中で過ごしたのに、
参謀本部に通ずる道路には丸分隊が警戒しているとの知らせだつた。

午後十時頃 大分静かになつてきた。
寒さもなく生れて初めて入る綺麗な家に一晩を明かし幸福この上もない位ひ、
邯鄲(カンタン)の夢淡しとか、
あのままあの世へでも行ってしまつたらこんな苦労もなかつたらう
と、思へば思ふ程 当時の思ひ出が限りなく胸を突きあげる。
至る処 忙しいような埋められるような気分が漂ふ。
後から氷でも負はされるような感じで、
心中の良心も判断力も失った現在、只々体を休ませたい。
毛布の上にゆつくりと、それのみを望みつつ静かになり行く夜の更けるにつれて、
知らず知らず眼を閉じて遊楽の夢を追ふ心地で、
二十八日の夜を椅子にもたれ翌朝までゆつくり休む。


帰隊
二十九日午前三時頃、
坂井中尉と高橋少尉が切迫しきつた時のような面で悲壮な声で、
邸内に居る各分隊に出動準備を下令した。
全員庭に集合すると各小隊、分隊毎に任務を付与された。
私の分隊は鉄門の内側にLGを据え直接防禦にあたる任務だ。
未だ二月、閏年最後の日、
大寒の真中、朝の三時外套を着ただけ、
数日来の降雪で靴の中まで濡れ冷たくなつているのだ。
靴下の交換もなく寒さが全身に沁みる。
物置等に燃料を探しに行き炭を見つけてくる。
すぐ作業にかかる。
少したつと表通りに陣地を変換した。
南北の警戒陣が良く見へる。
北の四叉路には鳥羽軍装がMGにて警戒している。
すぐ隣の参謀本部と陸相官邸の間の小路に林伍長が警戒している。
澁川善助氏来りて
「 情況が切迫してきたから市街戦を慮つて陣地を構築した方が良いでせう 」
と言ふので
箱、布団、雪等でLGの伏射の陣地を作る。

時払暁近くなれば
東空白々となり 寒さ益々加はる。
炭火も少し程あれば何分か寒さも内端に感ず。
気分やわらげば話も出て何時か寒さを忘れて朝を迎ふ。
曇天なるも雪は止み朝早くから、
ラヂオで何やら放送していたが風の音で内容が判らぬ。
随分長く放送して居るようだ。

    ----○-----○----
(罫線外)

戒嚴司令部發表

(罫線内)
「兵に告ぐ」
敕命が發せられたのである。
既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。
お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從をして、
誠心誠意活動して來たのであろうが、

お前達の上官のした行爲は間違ってゐたのである。
既に敕命天皇陛下の御命令によって
お前達は皆原隊に復歸せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽くまでも抵抗したならば、
それは敕命に反抗することとなり逆賊とならなければならない。

正しいことをしてゐると信じてゐたのに、
それが間違って居ったと知ったならば、
徒らに今迄の行がゝりや、義理上からいつまでも反抗的態度をとって

天皇陛下にそむき奉り、
逆賊としての汚名を永久に受ける樣なことがあってはならない。

今からでも決して遲くはないから
直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復歸する樣にせよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。
お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを
心から祈ってゐるのである。
速かに現在の位置を棄てゝ歸って來い。
戒嚴司令官 香椎中將
    ----○-----○----

午前七時過ぎ
陸軍省勤務の某大尉、
丈は五尺四、五寸、細面で目の大きい髪をはやした人が来て
奉勅命令が下ったから
皆早く聯隊に帰ってくれ、少しでも早ければそれだけ安心だ、
皇軍相撃といふことは大問題である、
我々は露国と戦ふ時が来るのだからその時 死んで御国の為に尽してくれ、
頼むから帰ってくれと親切に忠告してくれた。
然し 私達が将校に無断で帰ることは出来ない。
奉勅命令が下れば将校は知っているでせう、そうすれば将校も聯隊に帰るでせう、
と言って信じなかつた。
つくづく当時の世の中の状況が不明であつたのが欠点で
下士官兵全員の考へがこんなことだから
今日のような境遇に彷徨(ホウコウ)して居たのだらうと思ひ出される。
大尉はしんぱいそうな顔をして帰った。
また陸相官邸も静かになつたが 坂井中尉等将校は何処に行ったのか姿が見へない。
渡辺曹長と新軍曹、長瀬伍長、私、内田伍長等が居た。

午前八時頃
一機の偵察機が参謀本部上空を飛翔し
低空からパラパラと白赤の小紙片を撒布した。
ビラは方々に散り陸相官邸にも二枚程落ちた。
目をとおすと
一から七、八項まであつて、
奉勅命令が下ったから早く帰れ、
父母兄弟が早く帰順するようにと泣いている、
下士官兵に罪はないから早く帰れ
今からでも遅くはない、
云々と言ふ帰順を勧めるビラだ。
 ←飛行機より撒かれたビラ
何だこれは、奉勅命令が下ったと?
俺達の行動は悪いのかなど、蹶起した時のように異様な衝撃と共に逆賊の言葉が頭の中を駈廻つた。
さては将校に煽動され今まで甘言と上官といふ立場を利用し、
また平素下士官兵の行動に関し放任していたのは 今日あるを予め知らしめたに過ぎたのだ、と直感、
最早これまで 「 毒を食はば皿まで 」 と 下士官兵の心境は定まったが、
さき程来た将校がまた来て、
忙しそうに早く帰れ、早ければそれだけ良いことだ、
皇軍相撃はよくない、ビラを見ただらう、早く帰ってくれ、
それに兵隊の着剣、実包装填をとりはずせと分隊長に言った。
「 でも 之は将校の命ですから取るのはもう少し待つて下さい、
私達は坂井、高橋、麦屋 中少尉殿の指揮下にあります、
この方々の命令なら直に応じますので帰るまで待つて下さい、
その間相手方が射撃しても 私達は将校の命がないかぎり応戦いたしませんから安心して下さい」
と 返答する。
渡辺曹長は如何すべきか相当悩んでいた。
長瀬伍長が大尉の袖を取り
「 私達は只々陛下の御為の行動であつて
私達の考へが上に通じないと言ふことは返す返すも残念です」
と言上し 名刺を貰った。

世は正に暗闇だ、
しかし帰隊すれば何でもないとのことに一縷(イチル)の安心を持ち 心失呆然として将校を待った。
参謀本部の佐官二名、大尉一名が元歩MG隊長だつた榊原大尉と共に来て、
取れ剣と弾抜けを伝へた。
私達が如何にすべきか思案していると
榊原大尉がLGの尾頭底を取り複座発条をはずしたので、
とり返したりして右往左往しながら取れ剣、弾抜きをしていると、
坂井、高橋、麦屋の三名が真青な顔に悲愴な色を漂はせて、官邸に入って来た。
当時私は表門の処に居たが間もなく全員東側の道路上に集合を命ぜられ、
伝令を各陣地に走らせた。
全部引上げて来たが皆どうなるのか心配顔であつた。

時に午前九時半頃である。
林伍長の分隊が来ない。不明である。
整列すると小隊長の号令で坂井中尉に敬礼、
答礼した中尉は
「 皆御苦労だつた、御機嫌よう 」
の 一言を述べた。
小隊長に敬礼すると 同様
「 皆御苦労、御機嫌よう 」
と 述べ
官邸の中に入って行った。

雪未だ降りやまず
(続二・二六事件と郷土兵)
元歩兵第三聯隊第一中隊付軍曹 窪川保雄 筆
二・二六事件の記 から
(註・・・原文はカナ書きの文、読み易くするためひらがなとした