國防の本義と其強化の提唱
陸軍省新聞班
本篇は 「 躍進の日本と列強の重壓 」 の姉妹篇として、
國防の本義を明かにし其強化を提唱し、
以て非常局に對する覺悟を促さんが爲配布するものである。
目次
一、國防観念の再檢討
二、國防力構成の要素
其一 人的要素
其二 自然要素
其三 混合要素
三、現下の國際情勢と我が國防
四、國防國策強化の提唱
其一 國防の組織
其二 國防と國内問題
其三 國防と思想
其四 國防と武力
其五 國防と經濟
五、國民の覺悟
( 附表省略 )
三、現下の國際情勢と我が國防の続き
四、國防國策強化の提唱
其一、國防の組織
輓近學芸の進歩發達の結果、國際生存競爭としての戰爭の方式は、
極めて科學的、組織的となりつゝある。
就中、思想戰、經濟戰、武力戰に於て然りである。
之を端的に表現すれば、將來の國際的抗爭は智能と智能の競爭であり、
組織と組織の爭闘であると謂ひ得る。
從つて、勝利の榮冠は對手方に優る創意と組織とを有する者に与へられるとも言ひ得るのであらう。
玆に於てか、國防國策とは
國家の有する國防要素をば國防目的の爲めに組織運營する政策であると約言し得るのである。
而して國防要素に就ては既に述べた通りであるが、
之が運營上よりすれば、政略、思想、武力、經濟の諸部門に分類することが出來る。
國防要素の組織運營に就ては、世上諸説紛々たるものがあるが、
其最も妥當なりと考へらるゝものを左に掲げることにする。
一、國民生活の安定
人的要素を充實培養し、擧國一致の實を擧げんが爲めには、
國民全部をして齊しく慶福を享有せしめねばならぬ。
國民の一部のみが經濟上の利益 特に不勞所得を享有し、
國民の大部が塗炭の苦しみを嘗め、延ては階級的對立を生ずる如き事實ありとせば、
一般國策上は勿論國防上の見地よりして看過し得ざる問題である。
之が爲め國民が等しく利己的個人主義經濟観念より脱却し、
道義に基く全體的經濟観念に覺醒し、
速に皇國の理想實現に適應する如き、經濟機構の樹立に邁進することが望ましい。
從つて苟いやしくも志あるの士は、
其學者たると實業家たると、將又朝に在ると野に在るとは問はず、
擧國一致其對策を攻究し、之が實現を企圖せねばならぬ。
國民生活に對し原価最大の問題は農村漁村の匡救である。
二、農村漁村の更生
現在農村窮迫の原因は世上種々述べられて居るが、今其主なるものを列擧すれば
1、農産物価格の不當 竝に不安定
2、生産品配給制度の不備
3、農業經營法の欠陥と過剰勞力利用の不適切
4、小作問題
5、公租公課等農村負担の過重と負債の増加
6、肥料の不廉
7、農村金融の不備 ( 資本の都市集中 )
8、繭、絹糸価格の暴落
9、旱ひでり、水、風、雪、虫害等自然的災害
10、農村に於ける誤れる卑農思想と中堅人物の欠乏
11、限度ある耕地と人口の過剰等
以上のごとき諸原因は、彼此交錯して、現時の如き農村の急迫を來して居るのであるが、
此等の原因の大半は都市と農村との對立に歸納せられる。
斯るが故に、窮迫せる農村を救濟せんが爲めには、社會政策的對策は、固より緊要であるが、
都市と農村との相互依存と國民共存共榮の全大観とに基き經濟機構の改善、
人口問題の解決等根本的の對策を講ずることが必要であり、
農村自身の自律的なる勤勞心と創造力の強化發展と相俟つて、
農村が眞底より更生するに至らんこを希望して已まない。
三、創意、發明の組織
本件は國策上重要なること勿論であるが、
國防上の見地よりして、經濟的にも軍事的にも、
極めて重要なる意義を有することは、既に述べた如く、
將來戰が創意と智能との爭闘たることによつて明瞭であると思ふ。
之が爲め 創意、發明に關する國家の全能力を動員し、
之を科學的に組織し其最大能率を發揮せしむることが望ましい。
之が爲め
1、科學的研究機關を統制し、合理化し其能率を嚮上し、經費を節納し、利用に便ならしむ。
2、發明を奨励し、資金供給、研究機關の利用の道を拓き特許制度に改善を加ふ。
等の施設が必要であらう。
其三、國防と思想
思想戰が國防上如何に重要なる役を演ずべきかは既に述べた通りである。
而して之が基礎たる可きものは、人的要素即ち精神力體力の充實である。
之が爲め 學校 及 社會教育に於て、其の陶治を行ふと共に、
一方社會上の欠陥是正、經濟組織の整調と相俟つて、國民生活の安定、農村更生救濟等を圖り、
民力の培養を策することが必要である。
國防上の見地より思想戰對策として考慮すべき要件を掲げれば左の如くである。
一、國民教化の振興
1、肇國の理想、皇國の使命に關する深き認識と確乎たる信念とを把持せしめ、
皇國内外に瀰漫びまんせる不穏、過激なる如何なる思想に對しても、寸毫も動揺することなき、
堅確なる國家観念と道義観念とを確立せしむること。
2、國家 及 全體の爲め、自己滅却の崇高なる犠牲的精神を涵養し、
國家を無視し、國家の必要とする統制を忌避し、國家の利益に反する如き行動に出でんとする
極端なる國際主義、利己主義、個人主義的思想を芟除すること。
3、質實剛健の氣風を養成し、頽廃的たいはいてき氣分を一掃すること。
4、世界の現狀、國際情勢に通暁し、日本の世界的地位を十分認識せしむること。
5、民族特有の文化を顯揚し、泰西文物の無批判的吸収を防止すること。
6、智育偏重の教育を改め訓育を重視し 且つ 實務的、實際的教育を主とすること。
7、國民體育の嚮上を圖ること。
二、思想戰體系の整備
思想、宣傳戰の中樞機關として、宣傳省又は情報局の如き國家機關が、
平時より必要なることは縷説るせつする迄もない。
此種機關の實例を見るに、世界大戰に於ては、
相當大規模な工作を以て、所謂プロパガンダ ( 宣傳 ) の名に於て、
近代的一戰爭手段たる思想戰が出現した。
此のプロパガンダ戰線の勇將は、英國のノースクリツフ卿、獨逸ルーデンドルフ將軍、
米國に於ては大統領ウイルソン自らであつた。
戰爭の中期より末期にかけて、恐るべきプロパガンダ戰の力は、
敵國戰線の後方は固より、其の國内の主要都市、國民の台所に迄猛威を揮つて 遂に獨逸側は、
この威力の前に崩壊するに至つた。
それが武力戰 及び 經濟封鎖戰と相關聯して行はれたことは勿論であるが、
プロパガンダ戰夫れ自體として、獨自の立場に立つて、活力を發揮したことは見遁すべからざることである。
英国 は 世界大戦勃発直後、一九一四年八月、平時からあつた宣傳事業を拡張して新聞局を設置し、
一九一七年一月には別に情報局が設けられ、宣傳事業を一括して活動を開始するに至つた。
次でノースクリツフ卿外三名を以て成る顧問委員が組織せられ、
ノースクリツフは自ら宣傳 及 政略関係の使命を帯びて米國に渡り、
大いに活動するところがあつたが、一九一八年の二月に至り、情報省が設置せられ、
ビーバーブルツク氏が情報大臣の椅子を占め、ノースクリツフ卿は敵國宣傳部長の職に就いた。
其後曲折を經て、ノースクリツフ卿が宣傳政策委員会の全指導を行うことになつた。
米国 は 一九一七年四月世界大戰に參加後、大統領ウイルソンにより廣報委員會を組織した。
この組織は、國務長官、陸軍大臣、海軍大臣 竝に ジヨージ・クリール氏を以て編成せられ、
クリールが右広報委員會の議長となつて、對内、對外宣傳事業の一切を統括した。
佛国 では 外務、陸軍、海軍の各省が夫々宣傳機關を持つて、互に鞏調しつゝ宣傳を實施した。
獨逸側 に在つては、
大戰間の宣傳は最初、不統制のまゝ、一の宣傳用機關誌を利用するに過ぎなかつたが、
軍事當局と各省間に幾多の抗爭曲折が繰り返された後、
ルーデンドルフの提唱に依り一九一八年八月に至つて、漸く宣傳組織を設置することが出來たけれども、
時既に遅く、聯合國側の猛烈なる宣傳に因り、遂に一敗地に塗るの已むなきに立ち至つた。
然るに我國に於ける識者中思想戰観念の認識十分ならざるもの多きは頗る遺憾とする所である。
蘇聯邦の組織ある赤化宣傳工作の爲め如何に我國上下を擧げて苦悩せしか。
又満洲事變を通じて宣傳機關の不備の爲め如何に惨但たる苦杯を嘗めたるか。
又現下の貿易經濟戰に於て列國の宣傳戰の爲め皇國が如何に不利なる立場に置かれて居るか。
是等を考ふるとき平戰兩時を通じての思想戰體系整備の急務なることは論議の餘地はない。
要は速に之が實現を圖るに在る。
其四、國防と武力
消極的軍備、積極的軍備
武力戰の主體は軍備である。
抑々軍備には消極的に國防目的を達成するに必要なる最少限度の武力と、
積極的に目的を達成せんが爲め要すべき武力とに分れる。
而して前者は國策、領土の廣狭、地理的位置等の關係より、自主的に決定し得べきものであり、
後者は國際情勢に應じて變化すべきものである。
現在我が陸軍の保有する軍備は上述の消極的國防に必要なる最少限度のものであり、
大戰直後、蘇國の軍備薄弱なりし時代に於ては、之を以て東亜平和維持の靜的目的を達成し得たのであるが、
満洲事變に伴ふ 國防第一線の擴大により皇国に三倍する領域の治安維持を負担することゝなり、
消極的國防の見地に於てすら既に軍備の不十分を感ずるに至つた。
加ふるに蘇國の所謂五か年計畫實施の結果、世界最大の軍備を保有するに至り、
特に著々として極東に軍備を充實しつゝあること、
蘇満國境の絶えざる紛爭、更に両者間に蟠わだかまれる幾多の案件は、
最近募り來れる蘇國の挑戰的態度と常習的不信なる態度と相俟つて日蘇關係の今後の推移は逆賭し難き情勢に在る。
從つて如何なる情勢の變化に遭遇するも支障なからしむべき兵力、装備の充實は、
時局對策として最も重要なるのゝ一つであらねばならぬ。
此の兵力装備の具體的數字を掲ぐる自由を持たないが、
主要列強の軍備と比較し、國際情勢の急迫せる狀態を考察せば、
皇國兵力装備の十分ならざることは十分了解し得ると信ずる。
近代軍備に於て航空機の有する価値の絶大なることは今更述べる迄もない。
( 後掲の主要列強陸軍兵力一覧表竝附録第一の列國軍備の表参照 )
思ふて玆に至れば慄然たらざるを得ない。
最近民間航空大拡張の企圖あるかに仄聞そくぶんする。
誠に慶賀の至りに堪へない。
冀こいねがはくは、一刻も速に空中國防の欠陥を充足し、國防上些の遺憾なからしめんことを。
又重要都市防空の爲め施設の必要があるが、飛行機に対する絶對の防禦は飛行機を以て、
敵機を撃墜し或は本拠地を覆滅するに在る。
此意味よりしても空中勢力の充実を企圖することが急務である。
其五、國防と經濟
一、經濟の調整
現機構の不備
現經濟機構が、我が國の經濟的發展に、大なる貢献をなしたることは認めねばならぬ。
然し國家的全體観、特に國防の観點より見て、左の如き改善調整の餘地ありと言はれて居る。
1、現機構は個人主義を基調として發達したものであるが、其半面に於て動もすれば、
經濟活動が、個人の利益と恣意とに放任せられんとする傾があり、
從つて必ずしも國家國民全般の利益と一致しないことがある。
2、自由競爭激化の結果、排他的思想を醸成し、階級對立観念を醸成する虞がある。
3、富の偏在を來し、國民大衆の貧困、失業、中小産業者農民等の凋落等を來し、
國民生活の安定を庶幾し得ない憾がある。
4、現機構は、國家的統制力小なる爲め、資源開發、産業振興、貿易促進等に全能力を動員して、
一元的運用を爲すに便ならず、又國家豫算に甚しき制限を受け、
國防上絶對に必要とする施設すら之を實現し得ざる狀態に在る。
新經濟機構に具備すべき要件
現經濟機構の變改是正の法案に對しては、種々の意見があるが、
國防上の見地よりして左の如き事項が擧げられて居る。
1、建國の理想に基き、道義的經濟観念に立脚し、國家の發展と國民全部の慶福を増進するものなること。
2、國民全部の活動を促進し、勤勞に應ずる所得を得しめ、國民大衆の生活安定を齎もたらすものなること。
3、資源開發、産業振興、貿易の促進、國防施設の充備に遺憾なからしむる如く、
金融の諸制度 竝に 産業の運營を改善すること。
4、國家の要求に反せざる限り、個人の創意と企業慾とを満足せしめ、益々勤勞心を振興せしむること。
5、公租公課を真に更生ならしむる如く税制の整理。
二、戰争經濟の確立
經濟戰は既に平時情態に於ても開始せられつゝあることは既に述べた通りである。
戰時状態に於て武力戰と併記する場合、其激甚性は最高度に達すること勿論である。
其場合の經濟統制を如何に実施するやは、國防上重要なる問題である。
二十世紀初頭迄の間に於ける各戰爭を観察するに。
國を擧げて交戰の事に従つた場合に於ても、比較的光線兵力、軍需品の需要が寡少であつて、
國民經濟の全般に亙り特別の變動を与ふることはなかつた。
然るに、世界大戰は全く從來と其の趣を異にして居る。
即ち軍需品の需要が未曾有の膨張をなした。
一面交戰國は外部との通商交通は、著しく阻害せられ、甚しき場合には全く封鎖狀態に陥るを以て、
軍需品は勿論 國民生活必需品に至る迄、海外よりの資源の輸入は途絶せらるのみでなく、
時刻輸出産業の販路も、全く閉塞され、平常時に於ける世界經濟の紐帯は全く切斷せらるゝ事となつた。
故に戰時不足すべき資源を適時充足する如く平時に於て準備を整ふると共に、
一旦緩急の暁には、國家は莫大なる軍需品の需要を満すと共に、
國民の經濟生活維持の爲 經濟の全般就中 國防産業運輸通信 及 國民經濟生活に對しては、
相當徹底して続制を行ふの必要がある。
其の結果 經濟組織に對しても尠すくなからざる臨時變更を生ずることとなる。
之を世界大戰の實例に徴するに、列強より封鎖せられたる獨逸が、
食糧軍需資源の輸入途絶に依り著しき困難を嘗めたるは勿論、
過剰生産品の輸出販路を失ひ、爲に國家經濟が窮地に陥つた事は周知の事實である。
又獨逸の潜水艦封鎖の脅威を受け乍らも兎に角 世界經濟との關聯を保持せし英國に於てすら
砂糖、小麦、肉類等の不足を生じ、又綿花輸入困難の結果はランカシヤ綿業廢止を餘儀なくせらるゝ等、
國民經濟に致命的影響を蒙つたことは枚擧に遑いとまがない。
されば交戰諸國は資源、食糧の不足を補う爲め、其の生産 及 輸入に對して強度の保護奨励策を取るは勿論、
中には國家自ら其一部を經營するものすらあつた。
極端なる自由主義を標榜せし英國に於てすら農地の鞏制耕作、製粉工場の政府管理、
小麦、砂糖 及 肉類の輸入 及 配給事業の政府直營等を實施し、
又 ランカシヤ綿業の危機を救はんが爲め、政府は在荷綿花の公平なる分配、操業の調整、
失業救濟等に對し 積極的統制を實施している。
又交戰時は殆んど例外なく國民の消費にまで干渉し、或はパン、肉、砂糖 等の食料品を始めとし
各種燃料 及 衣服に対しても標準消費量 又は日量を定め切符制度に依り之が配給をも實施している。
又一方國家は戰爭の爲 打撃を蒙れる一般國民 竝に特殊産業の資本家 及 勞働者に對して救濟策を講じ、
又戰禍の爲 生業を失へる者に對する對策を必要とするに至つて居る。
此の如き世界大戰の經驗は、將來戦に於て戰時經濟を如何に準備すべきや暗示するものである。
而して此等の準備なき國家は、多大の困難を感ずるのみならず、
往々 之が爲 敗戰を招來するやも測り難い。
故に平時より官民力を戮せ之が準備を完成するの必要がある。
而して其の準備すべき要點としては、戰時不足資源関係の企業の奨励、
不足資源の貯蔵、代用品の研究、戰時海外資源の取得計畫、平時之を利用する國防産業の實行促進、
過剰生産品の輸出對策、戰時財政金融對策、貿易對策、勞働對策等 相當廣範囲に亙り
豫め研究準備を遂げ開戰の暁に於て些の遅滞なく、
統制ある戰時經濟の運用に移らなければならない。
五、國民の覺悟
以上は
國防國策として速に實現を要すと一般に考へられある事項の若干を掲げたに過ぎない。
素より國防は國家の生成發展に關する限り
國策の全般に亙るが故に本書に述べた以外に考慮すべき要件は多々あることは勿論である。
皇國は今や駸々しんしん乎たる躍進を遂げつゝある、一方列強の重圧は刻々と過重しつゝある。
此の有史以來の國難--然しそれは皇國が永遠に繁榮するや否やの光榮ある國家試練である--
を 突破し光輝ある三千年の歴史に一般の光彩を添ふることは、
昭和聖代に生を禀けた國民の責務であり、喜悦である、
冀はくは、全國民が國防の何物たるかを了解し、
新なる國防本位の各種機構を創造運營し、
美事に危局を克服し、
日本精神の高調擴充と世界恒久平和の確立とに向つて邁進せんことを。
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