高橋太郎
『 斷片 』 と 表題したる
高橋太郎少尉の感懐の断片
昭和11年 ( 1936年 ) 4月19日から、
公判が始まる前々日の4月26日までの手記である
斷片
四月十九日
昨是今非否瞬刻ニウツル己カ心ヲ眺メ
一旦警鐘八千萬同胞ノ理想精神化ヲ夢ミシ我カ短慮ヲアハレム
明鏡止水 忽チニ生スル曇リ 忽チニ起ル風波 嗚呼アサマシキ我カ心
二十四年ノ熟慮 一瞬ノ斷行=不滅ヘノ歸依=死
昨日ノ我ヲ夢ミル未練ノ人ヨ
獄則ノ非礼ヲ憤ルマエニ今日ノ己レニカエレ
無位無官一介ノ囚衣ノ人
終日ノ苦勞 終夜の快眠
終日ノ不勞 終夜ノ不眠ノ悩
六日ノ汗ノ結晶、日曜ノ無上ノ樂シミアリ
爲スコトモナキ退屈ノ聯續ハ人間最大ノ苦悩ト知ル
人ハ多忙ニシテ生甲斐アリ
幼時ノ精神的苦悩
靑少年時代ノ精神的肉體的鍛錬
再ヒ來ル精神的肉體的苦悩
己カ修行ノ足並 人間タル亦難キ哉
万里一條鐵 生命ノ大根元 皇國體。
死生一如ノ境地 生命ノ根元ヘノ歸依
爲スコトモナク考フルコトモツキタル其ノ後ニ必ス起ルモノ 熾烈ナル食欲
食フ爲メニ生クルノ意一理アルヲ知ル
轟ク銃聲忽チニオコル突撃ノ聲 花ノ世ヲヨソニ代々木ハ相變ラス猛訓練ノ巷
渡満ヲ目前ニ第二期中隊敎練ノ編成ナルヘシ
噫我カ敎ヘシ兵ハ如何ニセシカ 思ヒハ巡ル去リニシ日ノ夢
つわものの目指す高根の花ふぶき ゆめおどろかす突撃の声
「 突撃に進め 」 の 令に過ぎし日の 若き士官の姿浮びぬ
つはものや 花のしたぶきつつの音
よもすがら思ひにふける春の夜 わが敎への子の姿うかべて
さちあれと祈る囚のあけくれよ わが敎へ子の姿偲びて
四月二十日
一時ノ彼方ニ死ヲ見ツメ ソノ一時ノ尊サ一時ノ全生命
人ハ常ニコノ一時ニ生キタキモノナリ
不勞徒食ノ輩一人ノ増加ハ數百ノ勞苦ヲ増ス マサニ有怒ノ食ヲ食フノ徒
噫 イツナルカ 全民無欲ノ食ヲ食フノ日=皇國體眞姿ノ顯現
「 何故ニ孝行セサルヘカラサルカ 」 カクノ如キモノニ限リ我利我利ノ徒
「 何故ニ自己ヲ尊フカ 」 トキケ
親ニ發シタル自己 親ニ含マルヽ自己 自己ヲ知レ
「 失礼致シマス 」 鄭重ニ解釋シテ檢査スル看守。
人格無視ト憤リシ監房檢査モソノ不快消ヘ 思ハス 「 御苦勞テシタ 」 ト 謝辭ヲ呈ス
檢査ハ既定ノ如ク嚴重 而モ聊カノ不快ヲ感セシメス 人ハカクアリ度キモノカナ 処生一訓
盛り半ばに散る花に寄す
散る花に思はずよする なさけかな
あなあはれ盛りもまたで散る花よ 心にくきは春の山風
四月二十一日
死ノ寸刻 ( 二月二十九日朝 陸相官邸ノ一室 )
既ニ遺書モ書キ終リヌ
今ニオイテ書クヘキコトモナシ
「 天皇陛萬萬歳 」 ト 記ス
紫煙ニ味フ一プクノチェリー 正ニ値千金
窓越シニ拝ス大内山ノ邊リ 斷雲片々
「 坂井サン 大内山ノ上カ段々明ルクナリマスヨ 」
「 噫 將ニ大内山ノ暗雲一掃端光ミナキラントスカ 」
互ニ見合ハス顔ニ思ハス浮フ微笑
悔ヒモナク悲シミモナシ
眞ニ死生ヲ超越セル神ノ境地トイワンカ
將ニ死ノ瞬前 死ノ寸刻
誰カ知ル死ノ寸刻ノ境地 今思ヒ出シテソノ心境ニ入ラントスルモ遂ニ能ハス
噫 得難キ體驗 死ノ寸刻
今日 微笑ヲ以テ死ノ宣告ニ処シ得ルノ自信只此処ニ存ス
人ノ死ナントスルヤ ソノ言ハ善シトカ 將ニ此ノ境地ヲ云フヘシ
利害打算 否 總テノ人間臭ヲ脱シ自己意識ヲモ失ヒタルノ境地 宜ナリソノ言ノ善ナル
噫 求メントシテ得ル能ハサル死ノ寸刻ノ境地
うつし世に二十四とせの春なかば 程なく散らんわかざくら花
ふりしきる花のふぶきや 春はゆく
四月二十二日
逝く春を眺めて
今ははや散らんばかりの さくらかな
ゆく春につきぬ名殘や みのさだめ
春雨ニ洗ハレテ庭ノ木々ニ生キ生キト緑ニ色ツキ行クヲ見ル
ヤカテ深緑ニ燃ユル初夏ノ候トナルヘシ
ツキヌ名残ヲ落花ニ止メ 春ハ將ニ逝カントス
囚屋ニ送ル春ノ短カサ 自然ハメクリテヤマス
刻々辿ル死ヘノ道 ヤカテ来ラン身ノサタメ
逝く春に名殘りとどめて思ふかな 程なく散らん殘花一りん
二月二十二日ノ思ヒ出
「 愈々決行ノ時ハ迫ツタソ 」
ツカツカト入リ來リテ耳語ささやク坂井中尉ノ異様ニ緊張セル顔
無言ノ握手
「 來ルヘキ時ハ來タ 」
唯一語
悲シミニアラス 喜ヒニアラス 胸ニコミアクル如キ壓迫感
黙々トシテ見合ハス眼ニキラメク決意ノ色
悲壮トイハンカ 壯絶 二月二十二日昼食後ノ第一中隊將校室ノ一情景
月更リテ此ニ四月 日ハ同シ二十二日
囚ニマトロム夢ノ思ヒ出
噫 悔ユルモ詮ナキ一瞬ノ運命。
心境
生くるとも死すともなどかかわるまじ わが大君につくす心は
七八度生き変りてもわれゆかん わが大君のみいづかしこみ
四月二十三日
噫 二月前ノ今日ソ 降リ積ム雪ヲ冒シテ病院ニ我カ敎ヘ子ヲ見舞ヒ無言ノ訣別ニ涙セシハ
麻布ナル親戚ニ親族相寄リ 我渡満ノ送別ノ宴ヲ張リクレシモ
今宵ハ無量ノ感慨ヲ胸ニ 「 弟ヲ頼ミマス 」 ノ一語。
噫 最後の別宴
氣弱キ弟 母ノ愛を知ラサル可愛相ナ弟 遂ニ天ニモ地ニモ唯一ノ頼リタル兄ヲ失ヒシアワレナ弟
今如何ニセシソ 許セヨ大義親ヲ滅ス
知ラスヤ維新ノ志士梅田先生ノ詩
妻ハ病床ニ臥シ 児ハ飢ニ泣ク・・・今朝死別ト生別ト 唯皇天皇土ノ知ルアルノミト
死生一如 唯大義ヲ知レ
永遠ノ生 大生命ノ帰依
喜ンテ送レ我カ死出ノ首途 勉メヨヤ君國ノ大御爲
幸あれと祈るひとやのあけくれよ
わが弟のうへを思ひて
うみ山の厚き御恩を身に負ひて
旅立たん身の心苦しさ
ひたすらにわれを頼りにしはらからと
この世をへだつ今ぞ悲しき
四月二十四日
浮キ世ヘノ第一信 伯母ヘ被服差入レノ願
萬感胸ニ迫リ書カントシテ書キ得ス
「 只唯御詫申上ルノミ 」 ノ 唯一語
噫 思ヒ浮フ家人ノ顔
四月二十八日午前十時第一回公判出廷ノ通知ニ接ス
死出ノ首途ノ近ツキシヲ思フ
既ニ準備ハ終リヌ 命ヲ待チ奉ルノミ
逝く春に そぞろにしのぶ さだめかな
判決ノ一日モ早カレト願フ一方ニ 一日モ遅カレト祈ル心
矛盾セル我カ心ノ動キ 是レ亦本能カ
四月二十五日
春ノ最後カ
總テヲ吹キ払ヒ 洗ヒ 潔メントスルカ如キ烈風猛雨
恰モ春ノ死ノ決戰ノ如シ
春ハカクシテ去リ 深緑ノ初夏ハ徐おもむろニ訪レン
噫 我カ生涯ヲ飾ル昭和十一年ノ春 我カ盛リニシテ
且我カ最後ノ春 逝ク春ヲ獄窓ニ眺メヤルトキ 誰カ一掬ノ涙 一條ノ感慨ナキ能ハサランヤ
噫 春ト共ニ散ル我カ命
うつし世に二十四とせの春すぎて
笑って散らん 我が桜花
四月二十六日
昨日ノ暴風雨ニ反シテカラリト晴レ渡リタル今日ノ日好 將ニ初夏
昨日マテ僅カニ名殘リヲ止メシ殘花既ニ散ツテ 深緑ノ若葉モユレルカ如シ
二ヶ月前ノ今日 唯只瞑目合掌 幻ノ如キ當時ヲ回想スルノミ
總テハ終リヌ
ヤカテ來ルヘキサタメヲ待タン
< 註 >
以上は高橋少尉が獄中にて認め 平石看守に託したものである。
陸軍の軍用箋に鉛筆で書かれている。
この用箋を用いた遺書は他にない。
正式に手記を許された毛筆と半紙が至急されたのは、六月二十七日であるから、
書かれた日時とともに異例の手記である。
河野司著 ニ ・ ニ六事件 獄中手記遺書 から
高橋治郎 著 一青年将校 終わりなき二・二六事件 から