あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 今日も会えたなあ 」

2021年01月08日 11時53分09秒 | 高橋太郎

 
高橋太郎

淡々微笑

面会を許されたことは、とりもなおさず、
太郎の運命が決まったことを暗に通告されたようなものである。
あれほどまでに切実な思いで、太郎との面接を待ち望んでいたのに、
それが実現して見ればかえって辛く、私の悲しみは倍増した。

太郎との面会は穏かな会話に終始したが、
隣室から絶えず 激しいことばが耳に入り、私の興味をそさった。
「 真崎という奴は・・・・」
そういう調子で、蹶起将校たちが
昭和維新を托した真崎大将を裏切り者よばわりして、
怒りをぶっつける者もいた。
「 おい! お前の仇はきっと討つぞ 」
傍若無人に、はげしいことばを吐く勇敢な面会人もいた。
太郎との面会中に、参謀懸章をつけた陸軍少佐が、
看守の制止をふりきって無断で入ってきたことがあった。
参謀将校は 私の存在を無視して、
机の上に意味のわからない記号だらけの地図をひろげ、
「 満洲の状況はこうだ。安心して死んでくれ 」
そう言って、太郎の手を握った。
「 ありがとうございます 」
太郎は嬉しそうに笑みをうかべていた。
看守は見て見ぬふりをしていた。

異常な状況のなかの二人の対面である。
寡黙の太郎と、涙を抑えるのに精一杯の口ベタの私との会話は、ぎこちなかった。
太郎は意識的にか、けっして事件に触れようとはしなかった。
隣室からきこえる激しいことばのやりとりにも、知らんふりをしていた。
私は事件のくわしい話を聞きたいと喉までかかるが、なぜか口にできなかった。
いま、私が心残りなのは、そのときもっと突っ込んで、
多くのことを語り合える大人でなかったことである。

「 お前は 天皇陛下のために喜んで死ねる人間になれよ 」
天皇の命令で殺されようとしている人間が、なお 天皇のために死ねという。
私はけんめいに涙をこらえながら、
これほどまでに天皇を熱愛する人間を、天皇が殺すはずはないと思った。
そして、私はそれを確信した。
そのころ、巷間には まことしやかな噂が流れていた。
「 死刑は表向きで、満洲へ送られ特別任務につくらしい 」
「 秩父宮と天皇が激論された 」
「 減刑されるそうだ 」
かつて歩三の兵舎で、偶然、謦咳に接した秩父宮の温顔を私は思いうかべ、
ワラをもつかむ思いでその噂にすがりつき、秩父宮はかならず救けてくださる、
太郎は助かる と 自分にいいきかせていた。
「 真実を見きわめることは難しいことだ 」
いたましそうに私を凝視しながら、太郎がいったことがあった。
それは呟きのような弱い調子だったが、
真実を見あやまった自分の愚かさへの反省ともうけとれて、私は辛かった。

面会三日目ごろであったろうか。
別れる間際になって太郎の口からでたのは、
私が毎日、毎日、怖れていたことばだった。
「 そろそろ別れる日が近づいたようだ。 今日が最後になるかもしれんよ 」
ことばは激することもなく淡々としていたが、
眼ざしは いちだんときびしかった。
すでに 相沢中佐処刑の銃声をきいている彼は、
自分の処刑がそう遠くないことを予感したのであろう。
なんという残酷なことばだ。
返すことばもなかった。
泣きだしたい激情を抑えるりがやっとだった。
夜になるのが怖かった。
軍人の処刑はどうするのか。
どんなかたちで殺されるのか。
切腹、斬首、絞首、銃殺・・・・
想像できるありとあらゆるさまざまな残虐な光景が、
しーんと静まりかえつた闇のなかに、
つぎからつぎへと思われるのだ。
つぎの日の面会は、
「 今日も会えたなあ 」
の 微笑にはじまり、
「 これが最後かもしれんな 」
と、鋭いが慈愛に満ちた うるんだ眼ざしで、
私を哀れむように見つめながら、きつくきつく握手して別れた。
今日も会えたなあ。今日も会えたなあ。
今日も会えたなあ。
いつたい、このことばは いつまでつづくのか。
それはいつまでも続いてほしい。
一生続いてほしい。
生きていてくれ。
どんな形でもいいから生きていてくれ
---私は流れる涙を拭うことも忘れて、
宇田川町の坂道を嗚咽をこらえながら  とぼとぼと歩いた。
「 どうして、あの忠節な人間が、あれほど天皇を敬愛する人間が、
殺されなければならないのか 」
「 神様、お願いです。天皇陛下、お願いです。兄を助けてください 」
私は歩きながら、途中、目に入れば、神様でもお寺でも手を合わせた。
天皇陛下の特赦が行われる・・・・噂は信憑性をもってひろがった。
甘粕大尉事件---関東大震災の混乱に乗じて、
アナーキスト大杉栄夫妻を扼殺やくさつした甘粕憲兵大尉は、軍籍を剥奪されたが、
そのころ満洲で特殊任務について活躍していた---や、
五・一五事件の犯行軍人にたいする、量刑が噂の根元にあつたのだ。
これらの噂は、とうぜん獄中にも流れた。
己の正義を信じ、ひとかけらの邪心もない軍人たちである。
それを知ったら
驚倒し、狂死したであろう、天皇の激怒を知らない彼らである。
それぞれの意識の底に、
心酔する秩父宮の理解と、
神とうやまい信ずる天皇の明哲を期待していたとしても、
彼らを愚と わらえない。
天皇はもちろん、
秩父宮も同情者でなかったことを、彼らは最後まで知らなかった。

太郎が帰ってきた。
笑いながら 部屋に入ってきた彼の姿に、
私は思わず立ちがった。
・・・夢であった。
夢と知った絶望感に、私は嗚咽をこらえながら、
夢は神託だ、夢は現実を予告する、
正夢でないという保証はない、
と 自分にいいきかせた。
そして、夢が見られる夜が待ち遠しくなり、
一時間でも早く夜がくればいいと思った。
太郎は助かる、
他の人たちは殺されても、
彼だけは絶対に殺されない
---そのときの私は、
まさに エゴ の 固まりであった。

高橋治郎 著  一青年将校 終わりなき二・二六事件  から


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