( 昭和十一年二月 )
二十三日は日曜日だった。
太郎は私をつれて、
新宿区若松町の陸軍衛戍病院に入院中の部下の下士官や陸士同期生を見舞い、
近づく、渡満を口実に、それとなく別れをつげた。
同期生である田口厳寛少尉の病室に入った太郎は、
枕もとにあった写真機に気づき、
「 俺を撮ってくれ 」
といって、椅子を窓際に寄せた。
ひとりだけでレンズにおさまろうとする彼の振舞いに、私は妙な感じをうけたが、
自分の最後の姿をのこそうとする感傷的な気持が、とっさに湧いたのであろう。
これが太郎の生前をしのぶ最後の写真である。
目は鋭いが、微笑をうかべる淡々とした表情から、
大事の決行を前にした興奮、緊張はみじんも感じられない。
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その夜、
麻布の叔母の家に二人の伯母や従兄たちが集まり、
太郎の満洲出征の送別会をひらいた。
その日から、はげしく雪が降りはじめ、交通もままならなかった。
出征は五月というので、会を延期とようという意見もでたが、
その日は太郎のたっての希望で決められた。
彼にのこされた機会は、その日しかなかったのだ。
高橋治郎 著 一青年将校 終わりなき二・二六事件 から