嶋津隆文オフィシャルブログ

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渡邉崋山の命日に墓前祭と崋山神社大祭に参列

2013年10月11日 | Weblog

10月11日は郷土の偉人渡邉崋山の命日です。天保12(1841)年のこの日、田原藩江戸家老であった崋山は蟄居先の田原の池之原で割腹しました。いうまでもなく蛮社の獄で捕らえられ、国許の田原に送られて2年余り後のことです。死の直前、崋山は「不忠不孝渡邉登」と大書きして逝きました。

命日の今日、午前10時から菩提寺である城宝寺で墓前祭りが執り行われ、11時からは城の近くの崋山神社に処を変えて御神事がもたれました。その行事に参加しつつ、百数十年の揺れ動く社会の評価の中で、すっかり地元に浸透した崋山の姿を感じ取ったというものです。

今月末にはこの崋山を含め、江戸期の経世家たち十数人を自慢しようと全国から首長たちが集まる鷗鳴フォーラムがこの田原で開催されます。そのメインスピーカーは歴史作家の童門冬二氏。東京都庁の先輩です。彼がどんな崋山像を話すのか、大いに期待するというものです。

しかし崋山が絶対的に賞賛され神社まで建立されたこの地にあると、ふと自虐的な欲望が出てくるというものです。それはちょうど芭蕉の神格化の背景を検証し『悪党芭蕉』と銘打った本を出した嵐山光三郎の心情に似ているかもしれません。光り輝く崋山像だけでなく、人間としての弱みや悩み、あるいは彼を毀誉褒貶した人々の心情を探ってみたいと思い始める昨今なのです。


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