嶋津隆文オフィシャルブログ

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大好きな鈴木俊一元都知事が逝かれてしまった

2010年05月15日 | Weblog

「米国で知事と二人でゴルフを楽しむ」

「鈴木俊一元都知事死去」。朝刊を見てウワっと声を上げてしまいました。戦後の地方自治制度を作り上げ、都知事を4期16年。「地方自治の神様」とも言われます。99歳。久しく車いすの生活であったことは夫人から伺っていました。何とも寂しいものです。

知事とは海外に行く時に必ず随行する外事課長として、長いこと傍で仕えました。NY、北京、ソウル、シドニー、ベルリン、サクラメント等など世界中を巡ったものです。それだけに随分可愛がっていただき、写真のようにゴルフも一緒に楽しんだものでした。

幾つもの忘れられない思い出があります。くつろいだ時に見せる微笑ましい言動等を記しておきましょう。私にとっては宝物のような思い出です。

ベルリンから帰国し成田に着いた時のこと。旅の疲れをみせない健啖家の知事に「時差ぼけは大丈夫ですか」と尋ねると「時差ぼけ? ハハ、私には関係ない。そういう言葉のあることは知ってはいるが」。誠に健康な人でした。

国連でブトロス・ガリ総長から平和賞を受賞した際のこと。車に乗り込むや「嶋津君、賞を見たい。早く出してみてくれ」。まるで子どものようにそのメダルを撫でる姿が無邪気で、普段の重厚な態度と異なる面を見せられ、痛く親近感を覚えたものでした。

北京を姉妹都市交流で訪れた時のこと。陳希同市長と別れる際、抱擁し涙していました。陳氏はそのあと解任され、モンゴル自治区に幽閉されてしまうのです。上海派の陳氏は北京派に放逐されたのです。その事態をうすうす察し、涙したのに違いありません。

ソウルの青瓦台に大統領表敬をした際のこと。韓国側の警備が厳しく、面会は知事と日本大使と私の3人しか入室が許されませんでした。その緊張の中で金詠三大統領から「これからは近くて近い国になりましょう」との発言がありました。帰路、「君、たしかにそう言っておられたね」と率直に喜びを顔にしていました。

NYで自治体国際化協会(クレア)の開設パ-ティがあった時のこと。受付をしていたブロンズの、グレースケリー似の美しい人が目にとまりました。「嶋津君、・・彼女は何者かね」。すかさず傍におられた敦子夫人が「もうお好きなんだから」と苦笑されたのです。

こんなことを書き綴っていると、どうしようもなく涙がポロポロと出てきてしまいます。何とも何とも、寂しいものです。合掌。

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