嶋津隆文オフィシャルブログ

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三島由紀夫の自決と団塊の世代というもの

2007年11月25日 | Weblog

多摩霊園は心休まる空間です。その中心区の一角に三島由紀夫(平岡公威)の墓があります。今朝そこに足を運ぶと、小じんまりとした新しい菊花が幾つかささげられていました。いうまでもなく三島は昭和45年11月25日の今日、自衛隊の市ヶ谷駐屯地でクーデターを呼びかけ、隊員の罵倒を浴び割腹しました。その大騒動をおよそ想起できないほどの、小さな献花が並んでいたのです。

そういえば事件から2年ほど、この11月25日の命日の朝8時には、「楯の会」のメンバーが墓前に集まりました。そして遙子夫人ら参集した人たちが焼香をすませたあと、彼らは皇居に向かって「天皇陛下万歳」と三唱するのです。当時私は霊園の浅間山近くに住んでいただけに、その光景を目の当たりにしていたものです。一種のアナクロニズムを感じつつも、晩秋の凛とした冷気の中での、三島の「死」の意思を踏襲する営みは何とも鮮烈でした。

あれから30数年が経ちました。私たち団塊の世代は三島の自決という行為に強烈な衝撃を受けました。しかし「死」という行為にひどく戸惑いながら、その意思を詮索する作業をば早々と止めてきたように思います。いや、彼の行為に留まりません。例えばそのあとで出てくる連合赤軍のリンチ事件など、仲間をあやめる「死」の行為の意味を分析する作業もまともにはやろうとはしてこなかったのです。「いやな」ことから常に逃げ回っていたのです。

山折哲夫(国際日本文化センター名誉教授)が、ある時こういっていたのが印象的でした。
「団塊の世代は老病死に対して全く無防備な世代であると思います。老病死について、それに対応する人生観や価値観についての教育をこの世代はほとんど受けていませんので、周章狼狽することが予想されます。こうした世代が大量に発生することは日本の歴史上はじまって以来のことです」。こういった警告を発せられるほど、私たち世代は「死」に対して無頓着であり、またそうあろうとしてきたようです。

団塊世代も今や大半が定年退職し、人生の最終コーナーに入ってきています。もういつまでも「死」に対して、無防備・無頓着であることが出来なくなってきています。この60年の歳月の中で、都合よくなおざりにしてきた「死」を、これからも同様に軽視していくことはもう出来ないことなのです。簡単にいえば早晩来る「死」への準備と、「死ぬまで」にやるべきことは何かを整理することが必要となっているように思うのです。

考えてもみれば、戦後を万事に「いい加減に」(こう喝破した俳優高田純二も同じ団塊世代!)過ごしてきたのがわが団塊の世代ではなかったでしょうか。それだけに今からは、社会と自分に対する「おとしまえ」をそれなりにつけなくてはならない。そう考えるべき年齢になったことを、多摩霊園の落ち葉がしみじみ伝えてくれたと思う一日でした。
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