嶋津隆文オフィシャルブログ

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杜国祭を前に嵐山光三郎『悪党芭蕉』を改めて読む

2014年04月25日 | Weblog

4月25日は杜国祭。坪井杜国(つぼいとこく)は芭蕉の俳弟子で、そもそもは名古屋の商人でしたが、渥美半島の保美の地に流刑となります。その杜国を偲んで毎年、保美に近い福江の潮音寺で祭がもたれているのです。

杜国は米のカラ売りで名古屋から追放されます。芭蕉はその流刑地渥美を訪ねて再会し、その歓びを「鷹ひとつ見つけてうれしいらご崎」と歌ったとされています。地元の人々にとってこの句は、子弟愛だけでなく渥美の歴史と景勝を著すものとして郷土の誇り(ブランド)となっています。

しかしこの出来事を、かつて国立市の我が家の近くに住んでいた嵐山光三郎さんはこう言っています。「杜国は女にしたいほどの美貌の若衆で、芭蕉はたちまち心を奪われた」(『悪党芭蕉』)と。罪人杜国を渥美に尋ねるだけでなく、芭蕉は彼と共に明石や京都を巡り、『笈の小文』を著しています。「流刑者と旅をすれば犯罪になる。杜国との旅がばれれば芭蕉もまた罪人になる」。その危険を冒して同行するほど耽溺していたというのです。

ふーむ。事実というのはなかなか興味深いものです。そういえば小林一茶も「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」といった童謡のような句をいくつも読み、無欲の人とイメージされます。しかしその一茶が義理の母親と田畑の遺産相続で争い、江戸と信州の間を12年間も往復したと言われています。

人間はいろいろな側面を持つようです。しかしだからこそ人間は面白いのでしょう。すべての人を聖人化するというのは世の中を少し窮屈にすると言えるかもしれません。

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