10月も過ぎ、もう季節は冬の気配。今朝、目覚めて外に出て触れた冷気に、ちょうど一か月前に訪れた津軽の事々が思い出されました。
青森は三内丸山遺跡を訪れ、ついで弘前城を起点に津軽半島を北上し、五所川原のねぶた館、太宰治の斜陽館、十三湖のしじみラーメンと小泊岬を巡り、そしてUターンして黒石温泉の「こみせ通り」界隈を歩きました。
その行程中、とりわけ納得したことがあります。りんご畑の広々とした風景の向こうから、ずっと岩木山が見え続けていたことです。
「嶋津さん、津軽平野というのは、どこまでをいうのか知っていますか」。こう私に友人の檜槇貢弘前大教授が語りかけます。「地元では岩木山が見える限り、そこを津軽平野というようです」と。いい話ではないですか。
感激したという点では、三内丸山遺跡は実に衝撃的でした。5千年も前に5百人規模の大集落(それはもう都市と言ってよい)を形成していたこと、幅員20mもの道路を整備していたこと、栗畠などを造成して食糧を確保していたこと等など新鮮は情報ばかりでした。
その衝撃を少しでも皆さんに味わってもらいたいと、その遺跡で出土した耳飾りの写真をアップします。このデザインの大胆さを見て下さい。縄文の女性たちのオシャレ感覚が生きいきと伝わってくると言うものです。
そんな津軽ももうすっかり冬仕度がすんだことでしょう。そう呟くと今度は突然に、津軽三味線の骨太な音色が耳に聞こえてくるようです。ことほど左様に、すっかり津軽に魅せられてしまったかのようです。
写真:「弘前城」「三内丸山遺跡」「縄文装飾」の3枚(本人撮影)