嶋津隆文オフィシャルブログ

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参列者のいなくなる葬儀の中で

2008年10月07日 | Weblog


参列者のいなくなる葬儀の中で

(月刊「地方財務」(ぎょうせい)10月号【シリーズ】もう一つの団塊世代論④より転載 )

葬儀の費用は不透明との批判も
葬儀といえばその費用に関し、ちょっと古いが平成14年の東京都調査がある。それによると、都民の平均費用は345.8万円とある。まずその内訳をご覧いただきたい。
葬儀社へ   176.8万円(戒名の38.1万円を含む)   香典返しに 91.1万円
寺院関係へ  64.2万円                   その他   23.2万円
飲食接待費に 36.2万円
それほど高くないのではという指摘もあろう。が、これはあくまで平均であり高額な人は結構いるのだ。全国ベースでみると葬儀産業は現在でも3~4兆円の市場で、団塊世代の大半が死に始める2030年代にはそれに倍する巨大マーケットになるといわれる。
ところでこの葬儀費用に、8割の人が「派手になってしまった」「追加支払いが多かった」等の不満を持ったとアンケートは示している。世間体への気遣いと葬儀社のいうままに決めてしまったと悔いているのである。もちろん最後の親孝行はしたいとの思いは間違いなく湧いていただろう。しかし今日、戒名料(数十万円~数百万円)のブラックゾーンと言われる不透明さや、葬式の派手さがバブルの風潮に乗って拡大した経緯から、それらの不要論さえ出ているのは事実である。

20~30年後の葬儀の風景というもの
さてその団塊世代が亡くなり始めるのは20~30年後である。現在年間100万人の死者数が倍増し180万人になるというが、果たしてどんな葬式風景が予想されるであろうか。 
一番の変化として考えられることは、参列者が激減することである。退職して20~30年近くも経てば、会社関係の人たちもごく限られた同僚が集まるだけである。家族の数も今日の少子化の結果で少なく、孫やひ孫は皆無という風景も珍しくない。お隣さんも同様に高齢化しているだけにその参列は期待しにくい。他方で出費する当事者の方も、大いに萎縮しているものと思われる。亡くなった本人も、縮減された年金と長い高齢期中に掛かった医療費で、貯めていたはずの持ちカネは少なくなっている。もちろん葬儀を出す子どもたちも豊かではない。バブル期後に大量に発生したニート、フリーター世代はその後の人生にあって、劇的に収入が増加したり定職に就き始めることは期待しにくいからである。換言すれば20~30年後の葬儀は、現在と比べ必然的にかなりシャビィな風景となるというものである。

葬儀で団塊世代に求められるもの 
団塊の世代は良きにつけ悪しきにつけ、時代の予兆を敏感に感じ止めてきたといわれる。では上のように予想される葬儀の風景の中で、団塊世代は如何に対応しようとしているだろうか。同世代の会話の中で感じ取れる、昨今の気運を示しておきたい。
第一は、バブル期の残像ともいえる葬儀様式から脱却を図ろうとの姿勢は、多く見られるところである。葬儀社等の商業主義に誘導され、ともすれば必要以上に華美な葬儀に入り込んでいくことには、コスト負担の抑制という面からも警戒しているといえる。
第二は、そのためにも小粒ながらも自分式の葬式のイメージを明確にしようとしているようだ。団塊世代は個性を大事にするともて囃され、悦にいっていた世代である。死に際しても、参列者を納得させる、「自分らしさ葬」を演出したいと考えている。
第三は、しかしそうした意向を、伴侶や子どもに伝達する作業は凡そ未着手なことである。財産遺言と異なり生前葬儀契約や遺言葬儀は殆ど活用されていない。自分の葬儀への意思表示は明確にすべきと思うが、実際はほとんど何も考えていないのが実態である。
ところでこうした会話の中で気づいたもう一つの課題を、行政関係者には小声で(笑)耳打ちしておきたい。それは今後の葬儀に関し資源の有効活用を考えるならば、役所は幾つかの施策を団塊世代に投げかける工夫があってよいということである。すなわち葬儀産業は早晩8兆円に及ぶ。その葬式費用を10%削減するだけで1兆円近くが浮く。その金を例えばニート、フリーターといった後世代の就業訓練や少子化対策の基金として拠出させるとしたら、団塊世代は頭を掻きながら受容するだろうということである。昨今団塊世代は、戦後社会での教育や若者就労において、後進世代への配慮を誤ったかもしれないと強く感じ始めている。うしろめたさを抱く団塊世代が、死に際して当該世代の「オトシマエ」として何らかの社会還元を受容することは、十分ありうると思うからである。


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