嶋津隆文オフィシャルブログ

嶋津隆文オフィシャルブログ

「よそもの」という残酷な関所

2007年08月26日 | Weblog

蝉の声も微妙に秋の音色に変わってきました。暑い夏もやっとこれで終わるかなと思うのは、単なる期待感というものでしょうか。


昨夜は3回目の「くにたち政治経済研究会」があり、テーマが教育問題ということもあって自転車で駆けつけました。パネリストは重野和夫元教育委員長、松嶋寿延市議、国立一中PTAの小山信子会長の3人です。

文教都市国立というブランド地名と裏腹の、偏った教育風土の事例を説明され、改めて国立という街の特異性の根深さを味わいました。

国旗を立てた校長を土下座させた子供たちと父兄、教員。教室を組合活動の部屋として久しく占拠していた教員たち。その先生たちを断固守ると宣言したP連会長。ベルマークを集めようと提案したら企業を支援するものだからと否定した同じくP連の親たち。
地域ぐるみで子どもたちの防犯をとの親の呼びかけに、戦時中の国防婦人会だと水をかけた前女性市長。その結果が不登校児も多く、公立でなく私立の学校に入れようとする親の志向を生んだのではないか。

溢れ出すように並べられるいびつな事例に言葉を失いました。同じ「市民参加」や「民主教育」が語られながら、国立市のそれと他の自治体の意味合いとは明らかに異なることに気づかされます。
“プロ市民”といわれる国立の街に独特なグループの存在を、私たちは侮ってはいけないのです。


そんななか、新しい教育委員2人の9月市議会での承認の打診が市長から行われていると聞きました。
一人は公民館関係者で、もう一人は大学教師。国立の偏った教育風土を立て直せるバランスある人たちであるか十分論議して欲しいものです。
それはともあれ、この二人が国分寺市と横浜市の在住であることには目が行かざるを得ません。

何故なら先の市長選の際、対立する私への一番強いネガティブキャンペーンが「国分寺から来た『よそもの』に国立は任せられない!」というものであったからです。「よそもの」は関所で止める。国立には入れさせない。流動性を属性とするこの都市社会の中で何というアナクロニズムであることかと驚いたものでした。しかしその舌の根の乾かないうちに今回「よそもの」二人を推挙してきたのです。天に向かって唾を吐いた事態になったという外ありません。

もちろん「よそもの」だからということを理由に反対することは適切ではありません。しかし少なくとも、先の悪意に満ちた選挙キャンペーンが「ためにするもの」であり、今回の提案にあたっては、その経緯の「説明」と「陳謝」が審議の最低の前提条件であると考えます。議会もこれを曖昧にすることがあっては信頼を失います。


今夜は『蝉しぐれ』がテレビで放映されるようです。理不尽な理由の下で主人が割腹させられた一族の無念を扱った藤沢周平の名作です。夏が過ぎようとしているとはいえ、国立の街には心ある「蝉しぐれ」が響いて欲しいと思わずにはおれません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする