上砂理佳のうぐいす日記

7月18日(木)~23日(火)まで、茶屋町の「ギャラリー四匹の猫」で「夏への扉」展に参加します★

突き抜けるもの★

2012-03-17 | うぐいすよもやま日記
センパイからチケットもらって、「山下清展」を見てきました。

はい、「長岡の花火」とか有名ですね。あの超極細絵画は、実は「貼り絵」つうか「ちぎり絵」で出来ているのですね。実際にナマで見てみると、その執念とも言える制作パワーに圧倒されます。
東京浅草生まれで、幼少期に言語障害を患ったそうです。暮らしていた施設は「千葉の八幡学園」というらしいですが、「飽きた」という理由でそこから飛び出して、18歳から放浪が始まります。今でいうホームレス生活ですが、その当時は「ルンペン」。
ルンペンの清さんは、普通の民家に立ち寄り、水や食べ物やお金をめぐんでもらいながら、線路をたどって旅を続けます。
私はずっと、旅先でスケッチしながら描いていたのかなーと思っていたのですが、一切スケッチはせず、旅先から戻ってから、記憶をたよりに見た光景を描いていたそうです。
普通なら、そんな記憶力というのは考えられないのですが、細部まで実に克明に描かれています。びっしり。驚異というしかない!
きっと、仕事や学業や結婚や人間関係など、一般の人が経験する「しがらみ」から、彼はとことん自由であったことと思われます。「自分の感じること」のみに集中して生きることが出来た。だから観察力も記憶力も濃縮され、研ぎ澄まされていったのではないでしょうか。
昔は、紙なんかも今みたいに豊富には無いので、古い切手をちぎって貼り絵の材料にしたりしてます。でもそれがかえって、コラージュにユニークな効果を与えています。
紙をちぎるのもハサミでなく、指でひとつひとつ。。。一枚の絵に貼りつける紙片の量は千枚以上はあるのでは。下絵を描いてその上にノリで紙片を貼っていく。群衆の表現なんか、細かくて細かくて圧巻。

放浪は18~32歳までで、アメリカの「ライフ」」誌が注目したことがきっかけで、日本でも有名になりました。きっと、注目されなければ、彼は死ぬまで無銭の放浪の旅を続けていたのではないでしょうか。
それにしても、18~32歳という人生で一番良い頃、若く感性豊かでエネルギーあふれる頃に、放浪ざんまいだったなんて。ちょっとうらやましくなったりします。
初期は、絵自体がつたなくていわば「子供の描いた絵」なんですが、プリミティブな魅力に満ちています。後期になるほど構図もしっかり洗練され、「大人の絵」になっていく。でもそうなるとちょっとつまらない。
やはり私は「プリミティブの魅力」が好きです。下手で「なんじゃこれ」なんだけど、その分、清さんが見た・感じた印象が、ダイレクトに見る者の心をゆさぶるんです。
そこには、上手い・下手を超越した、「突き抜けたもの」があるからです。
山下アートの真骨頂はそこなんですが、ピンとこない人にとっては、「ただのヘタな絵」なのかもしれません。だから昭和31年当時の大丸デパートがよく「山下清の大回顧展」をやったもんだな~と驚嘆するわけです。企画をした人がよほど審美眼があり、上司を説得する情熱があったのでしょう(ある意味、今・現代の方がデパートは保守的ではないですか)。

「長岡の花火」なんかは、印刷でもある程度伝わりますが、その原画は圧倒的です。
夜空にたちこめる熱気、見物の群衆のざわめき、打ち上げられた大輪の花火の「ドーン」という音まで聞こえてきそう。花火を見たあとの「あの」感覚がよみがえります。
絵で大切なのは、「自分が感じた感覚を見る側に伝える」ことなんですが、誰に教わるでもなくそれが自然に出来た、という部分で、山下清はやはり天才だったのでしょう。
コメント
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