上砂理佳のうぐいす日記

やっと秋らしくなりましたが、まだまだ日中は陽ざしがきついです。寒暖差で風邪をひかないように★

もうすぐ1年★

2012-03-06 | うぐいすよもやま日記
メディアでは「3・11」に向けて特集が組まれていますが。
本当に早いもの。あっという間。
でも…被災された方にとっては、とてつもなく長い1年だったと思います。
そして「終わった」ことではなく、復興はえんえんと続くのです。
原発の影響で離職や引っ越しを余儀なくされた人。
津波で破壊された土地で、先行きの目途がたたない人。
苦汁の日々だと思うのですが、
「とりあえず今日を生きて前に進む」ことしか出来ない。
阪神大震災の時、「日常感覚を取り戻す」までに半年かかりました。
今回は、半年では到底取り戻せないと思います。

私自身が復興のために出来たことといったら、結局、
支援団体を通しての物品・金銭援助だけ。
「自分の仕事」を通しては、何も出来なかった。
ロック歌手のように、すぐさまギターを抱えて、
現地でコンサートなど開けたら、どんなに良いことだろうか。
人の心を慰める音楽って、なんて素晴らしいのだろうか。
絵描きは、「何も出来ない自分の無価値」を、
ヒリヒリ噛みしめることになるのです。
17年前に私も、関西人としてお隣の神戸に、アートの展示ボランティアに行きました。
でも、率直な感想としては、
「アートは復興の役に立たない」
でした。
音楽は別です。即効力として効き目がある。漫談とか落語とか。
でも、美術品をしげしげと眺め、「ああいいねえ」と言ってもらえるのは、
人が平穏な気持ちの時だけです。
戦火のさなかで、ギャラリーをゆっくり見て回る人などいるのでしょうか。
私は敗北の気持ちでいっぱいで、神戸からホコリまみれで帰ってきました。
「ボランティアで人さまのお役にたった」という達成感など、カケラも無い。
かえってあちらのスタッフの人に、迷惑をかけただけじゃないのか。
(ああいうスタッフの人というのは、皆とても優しく親切なのです)
そんなみじめな気持を率直に、知り合いの画廊の人に言ったらば、
「美術はすぐには役に立たなくても、長いスパンで人の心を癒すのだから、焦らなくていい」
と答えがかえってきました。
そうなのかな。

昨年の初夏に、浜松で個展をやらせてもらいましたが、
あの頃の気持ちから私は余り変わっておらず、
「前にも後ろにも行ってない」。膠着してます。
はっきり言って自分の絵のことより、
「日本がどうなってしまうのか」ことの方が気にかかります。
日本の今後が気にかかるからこそ、自分の絵に向き合ったときに、
「ああ絵があって良かった」と、かえって気持ちが集中するのも事実なのですが。
「それって現実逃避そのものじゃないか」という気持ちも30%くらいある。
現実の日本と、自分の描く世界がうまくリンクせず、もどかしく思う。
でも、もどかしく思わなかったら、もう、私は夢みたいな世界は描かないだろう。
現実世界が、原発も放射能も津波も地震も死も怪我も病気もなく、
ハッピーハッピーだったらば、
わざわざ絵を描く衝動も理由も無くなる。
夢を見るからこそ、人は絵を描く。洞窟にも描く。石にも描く。
怒りを感じるからこそ、これを形にしたくなる。人に問いかけたくなる。

今、ドバイのアート展で村上隆氏が五百羅漢を展示していると思うのですが(もう終了したのか?)
見てみたい。でもドバイには行けないので、ネットで追ってます。
自分には、五百羅漢を描くだけのパワーが無いぞ、という事実が痛いのですが、
打ちのめされて鍛えられるのも、またいいことでしょう★
コメント
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