福井利佐blog

切り絵アーティストの日々

「ぶらり帰省(後半の後半編)」

2011年07月27日 | 過去のBLOG記事

暴風が吹き荒れ始める中、
スコールの合間をみてコチラも見てきました。

「南極観測船ふじ」です。
突風の橋を渡るのが必死で、外観写真がありませんが、模型をどうぞ。

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「ふじ」は1965年から南極観測船として活躍し、
18年のお勤めを終えて、
名古屋港に1985年から永久係留されています。

乗るとすぐに食堂です。

食事係の方が作っていました。

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人形です(笑)。

テーブルは皿が落ちないように、
四隅のストッパーが出るようになっていました。

調理室には、もやし生育機や、パン焼き機、
いろいろな工夫がされていて興味深いです。

船室はこんな感じです。

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がっちりロックのドアです。

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理容室もあります。

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歯医者さんとか、医務室という
本格的な医療が出来るお部屋もありました。

手術台に寝かされた人のお腹をお医者さんが
診療している(人形)状態で一瞬びっくりします(笑)。

娯楽室とかもありました。

こちらは隊員のお部屋。

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それ以外の乗組員のベッドが多数。

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揺れてもいいよう、チェーンでぶらさがっています。

観測隊員居室。

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机の上に気になる人形。

この時代、みんなご家庭にあったと思われる
身体が瓶の懐かしのお人形です。(衣装は毛糸)
だれか身内の方の手作りなのでしょうか~。

観測隊員のお部屋には防寒具が干してあります。

それぞれいろいろな役割があって、色々なお部屋があります。

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ロッカーにこんなブロマイドが。

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誰なのか、まったくわからなかったのですが、
誰かの奥様ではなさそうでした(笑)。

他に、経理のお部屋やもろもろあって
一つの舟の中に
ありとあらゆるものが凝縮されていて、おもしろかったです。

そしてみんなお部屋に「トップ」などの
大きい洗濯粉がおいてあるのが印象的でした。
みんな自分で洗っているのね。

2回は展示室になっています。
南極での観測模様を再現してあります。

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日本初の砕氷船で、
厚さ80cmの氷を連続して割って進むことができたそうで、
その仕組みです。

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なんと、舟の先端部分が持ち上がって、
舟の重みで割って進んでいたのです。
なるほど~。

ペンギンしらべてま~す。

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揺れが凄い時はこんな食事だったそうです。

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これも国初の雪上車。

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デッキにはヘリコプターも止まっています。

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しかし、突風がすごくて私はデッキに出るのは断念。

この上に操舵室があったのですが、そこまでたどりつけませんでした。

そうこうして帰ろうと思ったら、
暴風雨が吹きさらしていて、外に出られなくなっていました。

しばらく食堂で待機してみましたが、
さきほどの一時的な降りではなくなり、悪くなる一方だったので、
意を決して、みんなで駐車場までダッシュしました。

娘はベビーカーつきの雨具があったので、それでガード。

こんな時、折りたたみの傘をさそうとする母親を叱責。

一瞬にしてぶっ壊れるのが目に見えています。

危険だし、一瞬で壊れる=ゴミになってしまうのですよ。
さす意味がわかりません。

何個か屋根のある建物を経て、無事に車まで到着しました。

そしてここからは、名古屋~静岡の車移動でしたが、
台風の暴風雨とともに移動していて、本当に大変な移動でした。
運転のお父さん、お疲れさまです。

夜には着いたのですが、遅い新幹線移動は
娘の負担のため明日後の朝に出発する事にしました。

静岡は、いままで聞いた事のない
「土砂崩れ警報」が出て、
山の方の人に避難勧告がでていました。

大地震からの頻繁な地震でかなり地盤が緩んでいたみたいです。

静岡からの東名高速は通行止めになっていたので、
新幹線も止まると困る(午後には納品作品がありました。)ってんで、
西から来ている台風を先取り、朝一で帰京しました。

すると東京は何事もない感じで、拍子抜けです。

翌日帰宅し、無事に作品を納品して、事なきを得ました。

この日は娘も保育室をお休みしたので、
家族水いらずですごしたのでした。

娘の熱もすぐにひいて、充実の連休がすごせたのでした。

               


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