息子の発熱で、ちょっと間が空いてしまいましたが
続き〜。
二本松市は「鬼婆」伝説の「黒塚」の土地。
奥州安達ヶ原「黒塚」とは
ここのこと。
ざっくり説明しますと
公家屋敷の乳母であった女が、
大事な自分の娘が病気になり、それを治したいために易者の
「妊婦の生肝を飲ませれば治る。」
という言葉を信じ
とおくみちのくに旅たち、たどり着いた場所がこの地の岩屋。
そこで宿屋をしていたところ
若夫婦が泊まりに来ました。
奥さんは身ごもっていて、夜中に産気づいたので
旦那さんは薬を求めて出かけた間に
妊婦を出刃包丁で殺し「生肝」を取ったのですが、
この妊婦こそ、
数年前に別れた娘本人とわかりびっくり。
気が狂い鬼と化し、
それ以来、人食い鬼として宿を求めた旅人を殺し、食べ
「安達ヶ原の鬼婆」
と言われるようになりました。
なんだか鬼婆という化け物的な怖さより
悲しい話ですよね。
智恵子の生家を後にして、車で川の近くに来ると
「あそこにあります。」
と、鬼婆を封じこめたという塚があるというのです。
「ええええー!」
こんな何気なく〜。
このこんもりしている所が・・・。
「黒塚」とかかれた墓標みたいのが何個も。
この大きな杉の木が目じるしなのですが、
後で実行委員の方たちにお話を伺ったら、
この地の子供達はみんな「黒塚」伝説の地に幼稚園とか小学校で行くそうで
その頃は、この杉の木に出刃包丁とか
いろいろ乗ってたって言うんですけど〜!
どういう事?
鬼婆の持ち物である出刃包丁で鎮魂の意味かしら。
魔よけとか?
本物の出刃だったら危ないし・・・。
謎が多いです。
そして、お次は
「安達ヶ原ふるさと村」というところへ。
観光施設になっています。
かつては「鬼婆」が前面に出ていたそうですが
現在は明るい家族向けの施設になっております。
こちらでおそばをいただき
ざくざくみそ汁?だっけかな。
いろいろな野菜がざくざく入ったおいしい味噌汁で
この地の郷土料理をいただきました。
そしてこのレストランを後にして
外の施設へ〜。
「黒塚」と書かれた五重塔とかあります。
そしてついに!
鬼婆に会いました〜(笑)!!!
えーとこちらは
もともとこの館にあったお人形だったのですが、子供が怖すぎて寄らなくなって
倉庫に眠っていたのを
福島ガイナックスの浅尾さんという方が
介護ロボ「ヤン婆婆」として蘇らせてくれました。
点滴とかしてます。
おもしろいけど、相変わらず子供泣くと思います(笑)。
ちょっとかわいらしい感じで作ってあるのですけどね。
そして
こちらはこどもの遊戯施設。
室内に遊び場が作られています。
三輪車とかもこの中にロードができており
外でできるような事もぎっしりこちらに詰まっております。
こちらは震災時にこどもたちが外で遊べないので作られたとの事。
それは切実な事でした。
6年たち、そういう事を忘れがちでしたが
そうだった・・・。
福島の子供達、大変だったな・・・。
東京ですら、当時1歳の娘はお外遊びNGで砂遊びとかできなかったです。
そして、さらに抜けると
様々な古民家、武家屋敷、茶室のある庭園へ。
以外に広くて、
本物が移築されている外展示の所と思わず、
びっくりしました。
屋敷の一部が再現されたビルドインされた施設だと思っていました。
かるがも親子に遭遇。
鬼婆はあそこだけで、それ以外は普通に「ふるさと村」を再現されていました。
福島は農家も武士も多かったから、こうして綺麗に保存されている大きいお家が残っているのですね。
確か静岡市のお餅や「やまだいち」の登呂のお店も
福島の農家のお家が移築されているとこだった記憶があります。
外に大きい水車があって立派ですよねー。
雪に耐えるからしっかり作られているのでしょうね。
そして、一瞬「鬼婆」を忘れそうになりますが
このあと
大本命
安達ヶ原黒塚の「岩屋」へ行くのです!
鬼婆が宿屋をしていたと言われる場所です。
そこはこちらのふるさと館のすぐ目の前にあり、
奥州仏法霊場
天台宗の観世寺という所で
国指定名勝
奥州安達ヶ原「黒塚」
となっております。
では、それは長くなりそうなので
また続きに〜。
実行委員の皆様と。
右の男性が、芸術祭実行委員長でアーティスト、福島大学の教授でもある渡邊晃一さん。
つづく・・・。