奥泉光さん、『シューマンの指』

 鍵盤をなぞらえた装丁と言い中身と言い、何とも美しい一冊である。タイトルにも大いに魅かれた。
 奥泉さんの『シューマンの指』の感想を少しばかり。

 切ないピアノの音色が絶え間なく流れ溢れている。例えば「私」の回想の中を、或いは誰かの思念の中を。けれども物語を読み進むにつれ、きらきらと美しかったその音色は狂おしさばかりを増し、音楽に魅入られて憧れの手を伸ばしてくる者たちの上に、諸刃の剣となって容赦なく降りそそぐ――かのようだった。音楽の光と闇。それはまるで慈愛と非情の双頭の相貌を持つ、神そのもののようですらあった。そんな神に見込まれてしまったら、人は一体どうなるのだろう…。
 語り手である「私」が高校三年の時に出会った一人の天才ピアニスト(そして美少年)との日々を回想する形で、物語は語られていく。シューマンの音楽にとり憑かれた早熟の天才・修人の教師然とした講義を受け、その特異な音楽論とシューマン論に耳を傾けた帰り道。記憶の底に封印されていた、僕らの「ダヴィッド同盟」。
 そもそもこの物語はその冒頭の部分から、二つの謎を抱えている。一つめは、かつての天才少年修人が何故、どういった経緯で指を切断してしまうことになったのか…という謎。そしても一つの謎は、その指を切断してしまったはずの修人が、ドイツの小さな町のコンサートでピアノを弾いていたと言う報告の真偽、である。この二つの謎が一つに絡まり合っていく終盤の息を呑む展開は見事である。最後に残されていた真実の姿と、ひりひりとした哀しみと孤独の深さにいつまでも胸がうずいた。
 
 当然のこと、シューマンが聴きなくなる。今までほとんど意識して聴いたことがなかったので、私はとりあえずピアノ協奏曲イ短調。むむむ、幻想曲も聴いてみたい。
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