小川洋子さん、『猫を抱いて象と泳ぐ』

 ただ、コツン、コツン――と、チェス盤に駒が置かれるささやかな音のみを、想像の中で響かせてみる。ページを繰る指先からさえ沁みて伝わってきそうな、耳を澄ましたくなる豊かな静謐。

 そこにある静けさがあまりにも優しくて、ひそりと、消え入りそうなほどに慎ましいものだから、なぜなの…?と問いかけたくなってしまう。そして、哀しいような愛おしいような思いを胸に抱えたまま、その場にうずくまりたくなる心地よさ。そんな静けさの向こうから私にこたえてくれるのは、チェス盤で奏でられる詩のように美しいメロディばかり。

 やはり、好きでした。
 『猫を抱いて象と泳ぐ』、小川洋子を読みました。


〔 遠い博物館に、どこへも動けないまま哀しみに沈んでいる駒がいる。どんなに小さくても八×八の宇宙船が行ける場所は他のチェス盤と同じなのに、ガラスケースに閉じ込められたまま、無遠慮な見物人に虫眼鏡でじろじろ覗かれている。もしその駒を動かせるのが自分一人だとしたら。 〕 176頁

 いずれリトル・アリョーヒンと呼ばれることになる少年は、ごく幼いころから極端に口数が少なかった。そして、そのこととどんな関係があるのかはわからないが、少年は生まれてきた時、上唇と下唇がくっついていた。この世に生まれ落ちてきたその第一声を、咽のあたりに詰まらせたままの赤ん坊は、すぐさま手術によって急ごしらえの唇を与えられる。だがその唇は、あくまでも模造品だった。 

 生まれてきたときにはすでに、あるべきはずのものが失われていた少年。天から与えられた欠落は、天から与えられた特別な仕掛けの証なのか…? 
 あらかじめ、失われていた唇。それはまるで、その先の人生において、声も言葉もひたすら呑みこみ、ただ美しく尊い詩句をチェス盤の上に浮かび上がらせ、駒たちにメロディを奏でさせることだけが、定められた彼の役割の全てであったと指し示すかのようだ。そしてまた、その類まれな素晴らしい才能も未来の栄光さえも、決して声高に顕示されることはないであろうことを暗示するが如く。そんな彼を待っていた数奇な運命とは…。

 まだ幼い日々、リトル・アリョーヒンにチェスを教えた、廃バスの住人のマスターや、壁から抜け出してきたみたいにやせ細り、肩に鳩を乗せた女の子のミイラ。賢い猫のポーンに、屋上から降りられなくなった象のインディラ。世界の片隅のチェス盤の下に寄り添いあって、彼らはずーっとリトル・アリョーヒンと共にあった。果てしないチェスの海に身を任せて、リトル・アリョーヒンが思いを込めて指す一手一手が奏でる、崇高で慎ましやかなメロディと共に。

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