アンナ・カヴァン、『氷』

 お勧めいただき喰いついた一冊、アンナ・カヴァンの『氷』を読んだので感想を。

 凍てつく雪と氷とに覆い尽くされていく、あまりにも美しくあまりにも邪な世界の終りの無情な光景に、ただただふるえるほど魅了された物語。夥しく流される血の深紅と底知れぬ輝きを放つ青い眼の焔が、果てしない雪白に滲んで眼裏を焦がすようだった。
 
 あらわれたかと思えばつと消え去り手を伸ばせば必ずすり抜けていく、繰り返される幻のような場面(信用ならぬこと極まりなし)と、“私”が執着し何処までも追い求め続ける少女の儚い姿。犠牲者の烙印をその身に押された、ガラスのように透き通る少女の残像。四囲にそそり立つ氷の壁、壁、壁…に、まるで氷の化身のような銀白の髪の少女が対峙するヴィジョンが、執拗なまでにつきまとう。
 抱くことの出来ない少女を求める“私”の心情にいつしか寄り添い、息苦しさの中で焦燥感に身を捩っていた。そして押し殺された凶暴な衝動にも。…邪な快感だった。

 私の、堅固に閉ざされた観念の中で。例えば目の前の世界が頽れ滅びゆくヴィジョン、或いは、一方的かつ強靭な力による完膚なき破壊、誰かを壊すということ誰かに壊されるということ…に、何故かしら魂の根底を揺さぶられるように心惹かれてやまない傾向がある。そしてまた、己の腕の中にあるか弱いもの、己の庇護を必要とするひ弱な存在を、力いっぱい抱きしめて抱きしめて最後には捻ってしまいそうな、そんな衝動に身を委ねたら…という妄想に遊んでしまう傾向。だからこれは、観念の話。
 そういう意味でもこの作品は、自身の無意識の底をかきたてられるようで堪らない一冊だった。“私”の内にある分裂――願い通りに少女を胸に抱いたならば、さらに力を込めてそのガラスのような体を一思いに打ち砕いてしまいそうな暴力への志向、衝動と、愛情豊かに暮らすインドリ(歌うキツネザル)たちの無垢な姿と魅惑的なその歌声に、狂おしいほどに憧れてしまう純粋な気持ちとを、同時に秘めている――この一見正反対の方向への人格の分裂に、とても興味深いものを感じた。誰も彼も…とまでは言わないが、実は人はそんな風に引き裂かれていたりする存在なのかも知れない。…そんなことをうっとりと思う、素敵な余韻。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 6月6日(日)の... 6月7日(月)の... »