笙野頼子さん、『説教師カニバットと百人の危ない美女』

 『説教師カニバットと百人の危ない美女』、笙野頼子を読みました。
 
 “巣鳩こばと会残党、またの名をカニバット親衛隊。かつては一万人を越えた、結婚願望ばかりが発達した異端の女性集団。が、今ではその数もたった百人、ああ、またファクシミリが鳴る……。” 22頁

 覚悟はしていましたけれど、だから面白過ぎますって…。
 それぞれが繋がりを持つ作品群に踏み入る為には、素通りするまじき作品でした。『文藝・冬号』で佐藤亜紀さんがおっしゃっているように、“笙野頼子という作家を考える上で重要な本”でもあるでしょうし、“ここから語り口が劇的に変わっていく”作品でもあります。…と言いつつ、読んでいる間はそんなことも考えず、ただただ圧倒されながら楽しんでました。

 笙野さんには、私小説的ではありつつ八百木千本という架空の作家が語り手として登場し、現実と虚構が入り乱れてパラレルに展開される作品群があります。そこには流れがあり、前作であの問題を取り上げたから、次作では更にこちらの方向に突き進んだのか…とか、そんな風に繋げて読める側面を持っています。
 そんな中でこの作品は、八百木千本がいわゆる“ブス物”をバリバリ書いていた頃の一冊となるでしょうか(ううむしかし、本当は“ブス”って言葉はあまり使いたくない…)。

 説教師カニバットの教えを受けた百人の一応美女(千本よりは美人)のゾンビたちから、八百木千本がまずはファックス攻撃を受けている…というところから話は始まります。じゃあ、ファックス切れば…と思っていると、ファックスを切るとあらゆる隙間から紙の蛇がでろでろと吐き出されるばかりなので、それよりはまだファックスの方がましと、千本はせっせとロール紙を買い込んでいるという、もうこの辺で何が何だか…な話ではあります。ファックスの文もしっかり読んでるし。
 説教師カニバットの教えとは、簡単に言えば“女の幸せ=結婚”。“女は夫に尽くし子を産み、良妻賢母の道をきわめるべし”なんて、前時代的化石的なものです。何て言うかもう…百人の女ゾンビたちの姿が痛ましくも涙ぐましくなりました。が…。 

 女ゾンビたちは本当におぞましいお化けなので、そのさまざまなおぞましい姿が語彙とイメージをふんだんに駆使され描写されます。彼女たちが綴る千本への手紙では、めくるめくような異様な思考が文章となってほとばしっています。凄過ぎますって。
 (2007.10.30)

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