ドストエフスキー、『地下室の手記』

 あわただしい二日間を地元で過ごしてまいりました。 
 友人たちとの再会の楽しさは、驚きの大ニュースで盛り上がった皆の喜びにふちどられ、その後の忘年会のざわめきは、だーさんにかまって貰えなかった私の憤りやら何やらにふちどられ。二日目には最後の仕上げとばかり、私がまたまたやらかしてしまい…(新幹線内に忘れ物)。ぐったり、疲れました。概ね自分の所為です…。

 そんな二日間、お供はこの一冊でした(よりによって)。今さらドストエフスキー、と言うか。今だからドストエフスキー、と言うか。読書会の課題本です。
 最近どんどん新訳が出ているようですが、旧訳の新潮文庫を当たり前のように手にとっていました。表紙のこの顔を眺めないことには、ドスを読む!という気分がなかなかしないように思えまして。

 『地下室の手記』、ドストエフスキーを読みました。


 古い訳ではありますけれど、その所為で読みにくいという印象は殆どなく、本当に読み難いのはこの主人公の思考の所為だ…!と、何度も思っていました。
 第一部では延々と、主人公の独白が続きます。ごもっともね…と頷ける箇所もあるにはあるものの、如何せん長過ぎます。小難しいことを言っているようで、実はさほど高尚な思索を繰り広げているわけでもないですし、回りくどい言い方で自己分析や自己弁解にいそしんでいる姿勢には、虚勢を張っているだけみたいな卑屈さを感じてしまって、かなり読み苦しかったです。これでもかこれでもかと展開するので、苦笑交じりで読みましたけれど。
 世の中や他人に対して感じる相容れなさ、社会性の欠落からくる人付き合いの下手さ、自分の狷介さを棚に上げた周囲の理解を得られないことへの不服、厭世的な気分、人嫌い…。これらは全て裏表をひっくり返せば、だからこそ自分は特別…という歪んだ優越感に繋がりかねない。それがわかるからこそ、「こ、こやつめ」と思いながら読んでいました。
 つまり、全然身につまされないわけではないからこそ、「嫌だなぁ」と。孤高になり損ねたら、惨めな人でしかないなぁ、と。

 第二部に入ると多少動きがありますので、かなり読みやすくなります。 
 何だかなぁ。主人公がすごく執念深かったり、友人(そもそも友人と言える相手なのか?)たちにかなり馬鹿にされて爪弾きにされていたり、下男相手に虚勢を張ったり娼婦に説教を打ったりで、かなり痛くなるばかりですが、「あ、痛…」と目を覆いそうになりながらも、「しょうがない人だなぁ」と思いつつ憎めないことも確かです。 
 ドスの長篇の主要登場人物たちとこの主人公を比較してみるのも、面白そうです。何人かの原型には、なっているのかもしれませんね。

 やけに態度のでかい下男の存在も、妙に気になりました。しかも名前が“アポロン”。他の登場人物たちは、何とかコフとか何とかボフなのに。アポロンって、太陽神に近い位置にいるギリシャ神話の神の名前なので、地下室の住人とは天敵なのでは…?なんて、ふと思ったりもしました。

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