再読、『ユルスナールの靴』

 いったい、どこで見たのだったか…。 
 一つの眺めがまるで絵のようにくっきり脳裏に残されていて、その情景の前後についてはごっそり記憶が抜け落ちている…ということが、ままある。やっきになって思い出そうとすると、本当に自分が見たのかどうかの信憑性までもあやしくなる。実際、克明に想像したことに自身が執着し過ぎて、それがそのまま偽の記憶として頭の中の引き出しにしまわれてしまう…ということが、あるのだし。
 この本の最後の章の中に、一枚の写真についての描写がある。それは、“ごつごつした岩場にすわっていたおばあさん”(!)のユルスナールを写したものである。それで私、その写真を確かに見たことがあると思うのだけれど、だったら一体いつ何処で目にしたのだろう…。まったくわからない。

 このタイミングしかない、という感じで再読。 
 『ユルスナールの靴』、須賀敦子を読みました。
 

 ユルスナールを読んだばかりなので、ずしずしと心に響く箇所が散りばめたように其処此処にあり、嬉しく読んだ。初読のときは、特にユルスナールについて詳しく触れているような文章よりかは、ユルスナールに出会い惹かれていった須賀さんご自身の気持ちを綴った文章の方に、どうしても心が向かいがちだった。それも無理はないと思うが(迷ってばかりだった若き頃を振り返っている章など、切なくて好きだった)。 

 ところが今回は、須賀さんの筆を通して描かれていくユルスナールの姿に、どんどん心が向かっていく。“ヨーロッパ文化の粋であるような彼女の思考回路”を称える一方で、やはり相当にエキセントリックであり、時にはいばりんぼさんだったかもしれない…(いや、“いばりんぼ”という言葉は使っていないけれど)ということをうかがわせるエピソードもところどころに差し挟まれ、読んでいてとても楽しい。そしてもちろん、ユルスナールの作品のことが出てくる箇所は、大変興味深く読めた。再読なのに全然響き方が違って、とても新鮮な気持ちだった。 
 
 そう、それで。
 『黒の過程』にふれながら、“彼女(ユルスナール)も、《牢獄》をぼんやりと照らしていた光を信じていた”と書かれているのを読んで、はっと胸を衝かれた。ユルスナールへの深い共感が、とても素敵だった。

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