イサベル・アジェンデ、『精霊たちの家』

 ごうごうと呻りを立てながら、迫ってくるような物語の力。 力強く静かに息吹き脈打つ、語りの力にただただ圧倒された。    

 「いつか読もう」がいつの間にやら、読みたくって読みたくってうずうずうず…「早く読みたい!」と、逸るような気分になっていた。 そんなタイミングで図書館の棚から引き抜いた分厚い一冊は、手に取るとずっしり…。 読み甲斐のありそうな、嬉しい重みだった。  
 …と言いつつ、当初思っていた以上にゆっくりゆっくり、時間をかけて物語を楽しんだ。 最初の一行に目を通した瞬間、遠い世界の遠い時間に眠っていた物語がたちまちよみがえり、怒涛の時間の渦へと私をいざなってくれたので、あったことよ(ごうごうごう…)。

『精霊たちの家』、イザベル・アジェンデを読みました。  

 大きくうねる歴史の濁流に巻き込まれていくこの年代記は、幻想のヴェールに包みこまれているようでいて実は、延々と繰り返される人の営みの愚かしさと素晴らしさとを、独特なリアリティでもって伝えてきてくれる。 主人公たちの情熱や愛や憎しみも、数々の印象的な情景と共にずしりと響く。  
 とりわけ、時に女たちの甘やかな罪を隠し、時に重過ぎる秘密を包みこんだ数え切れない幾千の夜の闇の美しさは、胸に沁みついて忘れがたい。 精霊たちが彷徨う、その夜の深さは。 

 しかしもちろん忘れがたいと言えば、全篇を覆い尽くしてしまいそうなほどの、幻視者ローサの存在感に勝るものはない。 手を伸ばせば触れることが出来るのでは…?と錯覚を起こしてしまうほど、ローサの存在感と不思議な魅力には心惹かれずにはいられなかった。 彼女の優しい影響力の元に、何もかもが守られているようで、読んでいる間は私もその中に含まれているようで。  

 そして、前世紀末からチリ・クーデターまでの一世紀を舞台にしたこの作品は、3世代に渡り連綿と続く逞しい女たちそれぞれの物語を紡ぎ繋げていきつつ、その傍らに、彼女たちを愛しながらも頑迷な生き方を変えられず、自身の前時代的な価値観を貫き通した男の一生を、つかず離れずに添わせているところがとても面白い、とも思った。 
 ローサの夫となる男の、屈辱の多かった幼き日々が育んだ夢と野心。 失意の後の恋そしてローサとの結婚、その先の孤独と挫折――。 読み手の同情すらはじき返してくる頑固者の男の魂に、いつか救いの日は来るのだろうか…と。  


 そう言えば、ラテンアメリカ文学には読むたびに圧倒されている。 この作品を読んでいる間、訳者あとがきにも引用されているガルシア=マルケスの言葉が、何度も脳裏をかすめた。 “ラテンアメリカには魔術的な現実がある”と…。 自分自身のこの目と耳で確かめられないのが残念で仕方ないくらい、「そんな世界が本当にこの地上にあるのか…」と、焦がれるような思いで胸がいっぱいになってしまうのだった。   
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