アンジェラ・カーター、『シンデレラあるいは母親の霊魂』

 野蛮で自由で残酷で、いつまた新鮮な血が流れてもおかしくない。 そんな、少しでも油断して向かいあっていたら、今にも斬りつけてきそうな作風に、ぐいぐいとひき込まれてしまった。 しゃきんと背を伸ばして、息をのむばかり。  

 実のところ、「なんて恐ろしいタイトルだろう、ゆめゆめ近寄るまじ…」などと、このタイトルを見かける度に思っていたものだが、それってつまり、本当は気になっていることの裏返しなのかも?と思い当たってしまい、ついに図書館で手に取ってみた。 すると、その場でぱらぱらぱら…とホンの少しめくってみただけで、とても濃厚で美味しそうな匂いが立ち昇ってきたので、私はつかまってしまった次第である。

 遺作として発表された短篇集、なのだそうだ。
『シンデレラあるいは母親の霊魂』、アンジェラ・カーターを読みました。

 童話や戯曲、そして実在した女性を描いたものなど、元となる題材を翻案したり語り直した作品が多く、大変に面白く読んだ。 とは言え、その元の方を知らない場合もあり、新鮮でもあったのだけれど。

 やはり表題作「シンデレラ、あるいは母親の霊魂」の、容赦のない生々しさ鮮烈さは忘れがたい。 そもそも童話や昔話において、母親の存在やその影響が占める部分はとても大きいのだが、そんな中で従来の「シンデレラ」における実母の影は、優しい魔法使いの向こう側にうっすらと感じられる程度かと思っていた。 まさかこんな解釈が出来るなんて…と大いに驚きつつも、説得力のある迫力に圧倒されてしまった。 胸を突かれるほど怖い。
 手加減なく描かれていく母娘の絆の異様な強さ、とりわけ母親から娘にそそがれる無償の愛のおぞましさには、背筋が凍る。 そしてまた、母親の期待にはどこまでも忠実に応えようとする娘の姿にも…。
 誰にでも親しめるようにほど良く毒気を抜かれてお行儀よく整えられてしまう以前の昔話には、身も蓋もない先人の知恵や警鐘がこめられていたのだろう。 人の営みあるところに潜む罠を、あばくように。 …凄まじいけれども鮮やかな解釈を突きつけられて、慄然としながらそんなことを考えた。

 劇作家ジョン・フォードの戯曲「哀れ彼女は娼婦」を、アメリカの映画監督ジョン・フォードが西部劇にリメイクしたら…という、何とも洒落た仕掛けの作品「ジョン・フォードの『哀れ彼女は娼婦』」は、題材となった本来の作品への関心もかきたてられる内容。 悲劇なのだが、痛ましくて美しいと思った。 

 その他、とっても好きだったのが「プラハのアリス、あるいは奇妙な部屋」。 十七世紀のプラハ、その“偏執狂めいた”都の錬金術師通りは魔術師の塔に住む錬金術師ディー博士と、その弟子である鉄仮面ネッド・ケリー。 二人は各々の思惑によって天使を探していたのだが、ある日、“現在、過去、未来のすべてが映し出されている”水晶玉から飛び出してきたのは…。 マニエリスムの画家アルチンボルドまで加わって、三人の男たちがアリスの出すなぞなぞに翻弄される…という、楽しい楽しいお話であった。

 そう言えば以前、長篇の作品『夜ごとのサーカス』を読んだことがあった。 そして今、他の作品も読んでみたくってうずうずうず…。 
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