多和田葉子さん、『きつね月』

 たぷん…とぷん…と、まろやかなお湯にくるまれながら、一人で声に出して読んでみる。そこに紡がれた言葉たちを、湯気の向こうへとはなってみる。
 自分の口からこぼれてくる思いがけない響きに、全身を澄まして耳を傾けて、ゆだりそうになりつつうっとりすること。響きの連なりがいつしか物語を編みだすから、心は彷徨い小さな旅をする。湯舟の中、漕ぎいだす小舟…。
 多和田さんの作品は音読が楽しいです。自分の好きな小品は、ちゃんと音を味わいたくなります。

 そしてこのタイトルが好き。
 『きつね月』、多和田葉子を読みました。
 

 収められているのは、「鏡像」「たぶららさ」「遺伝子」「詩人が息をしている」「電車の中で読書する人々」「ねつきみ」「ギターをこする」「辞書の村」「魔除け」「有名人」「かける」「船旅」「台所」「シャーマンのいる村」「乙という町」「ハイウェイ」「オレンジ園にて」「舌の舞踊」、の18篇です。

 多和田さんの作品は、つい先日『旅をする裸の眼』を読んだばかりですが、どうにも後をひいてしまいました。全然違う味わいの短篇集だったので、それも嬉しくて堪能しました。小説というよりはむしろ散文詩のような、かなり短い作品も収められています。
 どの作品も好きでしたが、「その一 鏡像」ですっかり浮き立ってしまいました。

〔 泳ぐことは誰にでもできますが、溺れることができるのは、水にかたちがないことを知っている人だけです。
 溺れることができるのは、身体にかたちがないことを知っている人だけです。
 溺れることができるのは、読書する人だけです。水と身体にかたちがないことは本にしか出ていないのです。
 経典は水の中に沈んでいます。 〕 18頁「鏡像」

 ここに揃った作品の中には、初めから日本語で書かれたものと、ドイツ語から日本語になおされたものとがあり、区別のつかない様に並べられています。「ふむふむ、これなんてドイツ語っぽいのでは…?」なんて、根拠の弱い推測などしながら読んでみるのもまた面白いです。

 多和田さんの作品については、“異化”という言葉が一つのキーワードになっているようですが、ふうむ異化…、日常語の異化…言語間の…イカ…。 
 一応それなりに意味はわかるものの、私に使いこなせるキーワードではないので、この際難しいことはおいておいて…。
 あれやこれやのしがらみを脱ぎ捨てた言葉たちの、何と生々しく何と匂いやかなことでしょうか。カタカタと歌ったりサワサワとさざめいたり、ピョン!と何処かへはね返ったり。その読み心地はまるで、二度と同じ模様にならない万華鏡をのぞいているみたいです。

〔 字が読みやすい手紙は配達する気になれないのだそうだ。今どき、ここまで自分の信念を貫くことのできる人がいるというのは、嬉しいことだ。汚い靴下の方が、アイロンをかけていない手紙よりは、ありがたいと思うのが人情だが、遊びが中心となった感謝の社会では、そういう常識も少しずつ変わってきている。アイロンは、やさしく炎に接吻する。じゅっと脅すように迫ってくる熱気も、管理人のいない部屋の中では、誰にも邪魔されずに、自分だけの音楽を聴くことができる。 〕 42頁「遺伝子」

 「電車の中で読書する人々」は、是非とも電車の中で思い出したい内容でした。今度電車に乗ったら、まわりを見まわしてみよう…。

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