R・A・ラファティ、『宇宙舟歌』

 『宇宙舟歌』の感想を少しばかり。

 “戦争がはじまったとき俺たちは少年だったが、今はもう少年じゃない。俺たちはさっさと家に帰るべきだが、ここらで誰かの口車に乗せられちまうかもしれないな。
 だからっ、俺は、誰かの口車に乗せられちまうかもしれないな、って言ったんだよっ!」” 5頁

 おおお面白かった! けたけた笑ったり思わず吹きだしたり、そんなことばっかりでどんどん読めてしまった。いやはや。宇宙版『オデュッセイア』ということで、面白くないはずがないと思いきや、これが滅法面白かったという…。まず初っ端から、道草を喰う気満々の大船長ロードストラムが可笑しい。あっという間に6人中5人の船長が話に乗って、果てしない宇宙での冒険に向けて繰りだす。ぐんぐん繰り出してしまう…! 
 第一章で彼らが勇躍目指したのは、快楽惑星ロトパゴイ。その星は、低重力で大気が薄く、怠惰な生物以外は生きていけないと言う“乞食世界”であった。そして常に時間は気だるい昼下がり。だが、誰も彼もを安楽と恍惚へと曳きこみ沈みこませてしまうこの惑星には、怖ろしい事実が隠されていた…。
 そして第二章では、操縦不能な宇宙船二隻(減ってしまった)が、ライストリュゴネス人の住む未開の惑星ラモスに不時着をすることになる。しかしその星の住人とは原始人のトロルで、彼らは自分たちの世界を“ヴァルハラ”と呼んでいた(ここでなぜか北欧神話が混ざる…)。さらにラモスから飛び立った一同は、第三章では宇宙仔牛をたらふく平らげたが為に危機に陥ってしまう。
 …とまあこんな調子で『オデュッセイア』の世界が、意表を衝くような着想によって絶妙な塩梅で踏まえられている。愉快痛快で時々「そう来るか!」と舌を巻く、そんな宇宙時代の壮大(で滑稽)な神話はこうやって生まれた。
  
 大船長で大男のロードストラムを始め、タフな相棒のパケット船長や、理論に通じたブランブル乗組員、メカに強い少年ホンドスタンフェル、薄情な天女のマーガレット(え、一応アテネ?)…などなどなど、特徴のある登場人物たちのはちゃめちゃな活躍振りも凄くよかった。
 今も昔も未来も変わりなく、とかく男の人は真っ直ぐ家には帰らないものなのかしら…。むむ。まあ、こんなに楽しければ結構なことじゃが。

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