ミルチャ・エリアーデ、『19本の薔薇』

 『19本の薔薇』の感想を少しばかり。

 “だがそれより、五十時間ほど前から私が身を置いている、この伝説と芸術と夢の宇宙に君が参入した暁には、すぐに自分で発見するだろう……。” 46頁

 これは割と面白かった。社会主義国ルーマニアで、とりわけ自由を希求する芸術家たち…という下地が呑みこめないとわかり難いところが多く、最後まで色々な謎が残る作品ではある。そもそもなぜ19なのか。
 語り手のエウセビウ・ダミアンが、ルーマニアの大作家パンデレの自伝的小説『回想』の口述筆記をしている最中に、パンデレの息子であると自ら主張する青年ラウリアンがいきなり訪れる。そして彼には婚約者のニクリナという、美しい連れがいた。だが老作家
は、自分にそんな息子がいるという事実に思い当たることがないと言う…(不可解な記憶喪失)。
 若い二人を気に入ったパンデレは、翌日の結婚式に19本の薔薇を贈ろうとするものの、結局自分から二人の元へと出かけていってしまう。そして、彼らの参加する劇団のスペクタクルに魅了された老作家は、絶えて書いたことのない戯曲の執筆を精力的に始める。それまでにパンデレが書いた芝居は、未発表のままの『オルフェウスとエウリディケ』だけだったのに…。

 馴染みのない芸術論や“絶対的自由”という概念については、特に感じるところがなかった。でもたとえば、“記憶回復”をしたパンデレが、エウリディケとの夢のような一夜を語る件などは幻想的で謎めいたところが素敵だった。
 森の奥へと吸い込まれるようにそのまま姿を消し、別天地を求めて異次元を彷徨う彼らの姿を想像すると、まるで謎ごと置いて行かれたような気分である(が、悪くない)。

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