伊井直行さん、『濁った激流にかかる橋』

 伊井さんの作品は二冊目。
 『濁った激流にかかる橋』、伊井直行を読みました。
 
 “よく見ておけ。これが川だ。二つの岸をぶった切って流れる本物の川だ。そして橋。たった一本の橋が二つの岸を結びつけている。それが、この町だ。本物の川と橋のある町だ。” 196頁 

 少しずつ何かが重なり繋がりあう9つの物語、オムニバス形式ならではの楽しさと面白さがみっちり詰まっています。どこかしら奇妙な設定と言い奇妙な人々と言い、私の好みでした! 「濁った激流にかかる橋」「泥水の激流の右岸に住むさいづち頭の子孫」「霧のかかる騒がしい橋からのひそやかな墜落」「ドエル・リバーサイドのひとりぼっちの幽霊」「橋の上で赤い銅貨のような光を浴びる女」「かの有名な氾濫原のバレリーナとその子孫」「恋と市長と水しぶきのかかる橋」「公式記録による世界でもっとも美しい激流」「伝令、激流にかかる橋を征服する」の9篇。

 物語の舞台の真ん中には、かなり異様な川と橋があります。一つの市を大きく二つに分断しながら、のたうち怒涛と流れる川。そして、あまりにも手を加えられすぎて、誰にも全貌を把握出来なくなってしまったお化けのような、全長1.2キロの橋。
 巨大なお化けのような橋は、まるで無秩序なことの象徴の如く不気味な存在感でその姿を現します。何しろ橋の上は、ただでさえ渋滞の混乱を極め危険極まりないのに、ほぼ無法地帯なのです。橋の上で誰かが行方不明になっても、捜索してもらうあてはありません。そもそも捜索するべき下を流れる川は、濁った激流ですし。

 一話目を読み始めてすぐに、もやもやとした違和感で妙に座り心地が悪くなりました。先ず、一見何の変哲もなさそうな普通の町のど真ん中に、どうしてこんな川が流れているのかが全然分からない。橋の長さが1.2キロなら、普通に考えて随分下流でなければおかしいのに、それでいて激流?…どうして? でも、すぐには疑問の答えを明示してもらえそうにもなく、もやもやとした違和感を抱えたまま、読み進まなければなりません。一話目二話目を読んでいる間の、「確かに面白いけれど何なのこのすっきりしない奇妙さは…」という気分も、その所為だったかと思います。
 駄菓子菓子、三話目の「霧のかかる騒がしい橋からのひそやかな墜落」 で、そんな“もやもや~っ”が吹き消されてしまいました。兎に角凄く面白くて。たぶん、いや絶対、かなり痛~い話ですが、語り手の女性の痛さが何だかだんだん愛おしくなりそうで、そんな自分に驚くやら笑うやら。

 さらに後半の話へと進むと、少しずつ昔の川の様子もわかってきて、何だかなぁ…と思いました。人間の姑息な知恵を、あざ笑うかのような激流の川。そしてその河によって右岸と左岸に分断されることで、差別意識を募らせていく住人たち。まるでその愚かさや滑稽さに、歯止めが効かなくなっていくように。
 でも何て言うか、この作品において人々の愚かしさと美しさは、ほぼ等価値というか同等なこととしてに描かれている気がして、そういうところも面白いです。そも、愚かしさと美しさなんて誰の中にも共存していて、それはこの“濁った激流にかかる橋”のように、無秩序に入り組みつつ複雑に絡んできっと分かちがたいものなのでしょう。

 一切の感傷をはねつけ感動的なことを描かない作風に、とても好感が持てました。隅々に至るまで面白かったです!
 (2007.11.12)

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