マヌエル・プイグ、『リタ・ヘイワースの背信』

 国書刊行会、40周年記念復刊の一冊。『リタ・ヘイワースの背信』の感想を少しばかり。

 “大きな字でリタのRを書いてみよう、それにHと大きな字で、背景には大きな飾りぐしとカスタネットを描こう。でも『血と砂』では彼女はよい青年をだますんだ。” 83頁

 読み終えた今、あらためてこのタイトルの持つ意味合いが、じわり…沁み入るようにわかる。身も蓋もなく、容赦なく迫る。こよなく映画を愛した少年の綺羅の夢が、その可憐な姿が、徐々に色褪せ煤けていくのをみているのが、何よりも遣る瀬なかった。このまま殺伐とした暴力と性に、抗う術もなく埋もれていくのか。もう少し何とかならないの…と、詮無く呟く。

 トートの母親であるミタの実家での一幕から、物語は始まる。いきなり会話だけで話が進んでいく序盤がとても面白くて、ここで掴まれたなぁ…と思う。短く区切られた章立ての中で話者が変わり、人物各々のとりとめない意識の流れが克明に記される章と、日記や手紙が使われる章とがあり、コラージュのような手法は処女作で既に…と、そこも興味深かった。

 始め、ミタの赤ちゃんとして話に登場するトートは、映画に入れ込むがあまり風変わりな少年へと成長する。背が伸びなくて、買ってもらった自転車には乗れない。学力は優秀。いつも母親にくっつき、びくびくと父親を怖れる。そして、冴えない田舎町や学校でも奇妙に浮いた存在になっていく様子が、周辺の人物たちの視点から伝わってきて、なかなか痛かった。
 でも、現実が苛酷にあたるのは、トートに対してだけじゃない。彼をとり巻く人々それぞれの、幻滅や挫折や諦め、その先の妥協の人生…が、畳みかけるように折り重なっていく…。
 だから、トートの作文の内容には、もう溜め息しか出やしなかった。

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