サーデグ・ヘダーヤト、『生埋め ― ある狂人の手記より』

 7篇が収められた選集。『生埋め ― ある狂人の手記より』の感想を少しばかり。

 “「すべては過ぎ去るのだし、世界が最後の日に来たのだから、もう何に意味があるというの? 愛や月見の夜の楽しみだって同じことだわ。みんな忘れられてしまうのよ。何もかも幻よ。すべてはただの幻影だわ。」” 175頁 

 とてもよかった。想像していた速効性の毒とは違う、じわじわ効いてくる救いのない昏い作風に、いつしかひきこまれ、絡め捕られた。とり憑き纏わるような厭世感、のぞきこんで目の眩む黒い虚無の淵…。しばし、身動きすら億劫な心地で余韻に浸る。全身が気怠くて、まるで呪いだ…と思った。
 
 一話目の「幕屋の人形」。厳格な家庭で抑圧されて育った青年メヘルダードは、眼も耳も塞いだまま24歳になっていた。留学先のフランスで、己の願望を具現するマネキンに目を奪われた彼のとった行動とは…。倒錯した恋が凄くリアルというか、本当にあり得そうな話なのに感嘆した。
 二話目の「タフテ・アブーナスル」は、とても好きな話だった。遺跡の発掘調査に携る考古学者が、発見したミイラを生き返らせようとする。そのミイラと一緒に見付かった遺書の内容から、何世紀も時を隔てた女の嫉妬と情念がめらめら陽炎う様が、息を呑むほど凄絶で妖艶だった。忘れがたい。
 「捨てられた妻」は、自分を鞭打つ夫を恋い追い続ける妻の狂気に、嫌悪しつつ戦慄した話。妻の心理がこれでもかこれでもかと迫ってくる。末娘である主人公が結婚する際、実母が呪詛をかけるのだが、これが本当に嫌な感じで…。ううっ。
 表題作「生埋め」は、幾度も自殺をはかりながら何故か死ねない男の苦悩が延々語られる話で、とにかく読んでいて息苦しくなるが、目を逸らせなかった。救いのなさで、一気に読ませる。

 最後に収められた「S.G.L.L.」は、とりわけ好きだった話。飢えも渇きも、性愛も満たされ、老いに病に打克ち、およそ考えうる人の願望が叶えられた二千年後の世界で、たった一つ残された苦しみは、人生の疲労と倦怠だった…。という、アンチ・ユートピアものである。
 世界中に狂気と絶望が蔓延し、自ら滅亡しようと集団自殺の提案がされる中、ハイヤームが詠った哲学的苦悩を唱える一人の学者が、特別な血清の効力を発表し、全人類の接種を提案する。だが、事態は思わぬ方に向かってしまう…。
 死への憧れに憑かれたスーサンと、そんな彼女の気持ちを変えられず、懊悩するテッド。愛をめぐる会話も虚しく、ただ、滅びゆく二人の儚い姿だけが徒に美しい。

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