カルロス・バルマセーダ、『ブエノスアイレス食堂』

 『ブエノスアイレス食堂』の感想を少しばかり。

 “セサル・ロンブローソが人間の肉をはじめて口にしたのは、生後七ヶ月のころのことだった。” 5頁

 面白かった! 全篇に渡って次から次へと差し出される、創意工夫を凝らした美味しそうな絶品料理の一皿一皿には、思わず想像を逞しゅうしてしまった。そして、アルゼンチン・ノワールという響きも素敵だけれど、本当に真っ黒でよかった…(ぽわん)。

 先に引用した衝撃的な文章から始まるこの物語は、イタリアからの移民である双子の兄弟が開いたブエノスアイレス食堂そのものの年代記…とも言える。カリオストロ兄妹が、才知あふれる建築家に依頼して建てさせたこの建物は、一階に完全無欠の厨房を持ち、街路からフランス窓と張り出しバルコニーが見える美しい屋敷だった。だが、1912年食堂に移り住んだ兄弟が、しばらくして相次いで世を去った為、このビストロの新たな住人は、双子の相続人であるおじとその一家となる。そこでおじのアレッサンドロは、双子に秘伝の料理術を託した料理長のマッシモ・ロンブローソを探しだし、それぞれの家族がいっしょになってブエノスアイレス食堂をやっていくことを提案する…。
 政情の不安定なアルゼンチンで道を切り開いては、しだく歴史の波にもまれ翻弄されるイタリア移民の姿が、ブエノスアイレス食堂の住人たちの入れ替わりの中で見事に描き出されている。状況の変化に重なるように、生み出される伝説の味の数々。カリオストロ兄弟からシアンカリーニ家へ、そしてさらにロンブローソ家へ。それは決して一本の父系の連なりではないし、時にはドイツから亡命したユルゲン・ベッカーを家族の一員として受け入れる場所ともなった。けれどもその一方で、傑出した料理人たちの血も脈々と受け継がれていくこととなる。そんなところがまた、面白く読める。やがて彼らの末裔であるセサル・ロンブローソの元に、その天才と移民の血が結晶するのだ…。

 淡々と事柄のみを述べていくことに徹したような筆致は、登場人物たちの心情を詳らかにすることもなくただ、人々を魅了し続けた素晴らしいビストロの年代記を紡いでいく。セサル・ロンブローソが、その驚くべき方法で幕を引くまで。

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