パスカル・キニャール、『アマリアの別荘』

 先日パスカル・キニャールの『音楽への憎しみ』を読んで、端麗でありながら全く依るところのない屹然とした文章にとても魅了された。そして二冊目に手に取ったのが、『アマリアの別荘』。感想を少しばかり。

 狙った訳ではなく単に結果としてではあるが、先に『音楽への憎しみ』を読んでおいたのは正解だったかも知れない…と、ほくそ笑んだのだった。
 主人公のアン・イダンは、誰にも(ファンにさえ)顔を知られていない風変わりな音楽家である。作曲をしない彼女が生み出すその音楽は、既存する曲たちの凝縮であり移し替えであり、唐突な沈黙に特徴がある。
 アンにとって音楽が如何に重要なものであるかは言うまでもなく、そしてまた物語を紡いでいく作者自身の言葉が音楽の本質へと深く触れていく箇所も幾つかはある。そんな風に音楽に満たされ、常に音楽がかたわらを流れているのを忘れさせない内容にも関わらず、まるで無音のような静けさに包まれた作風…に、とても頷けるところがあった。音が溢れているはずなのに、気が付けば潮のように音が遠のく。余分なものを削ぎ落し物事の本質だけを抽出するかのような厳しさを持つ文章によって、例えば本当ならば聴こえているはずの慟哭の声すら遠い背景の方へと押しやられてしまうのだ。そうしてそれゆえにこそ、そこにある場面の美しさや哀しみだけがくっきりと、胸に沁み通ってくるのだろう。

 アンの人柄を表す言葉を一つ一つ拾い集めていくと、かなり複雑で興味深い女性であることがわかってくる。今にもくずれ落ちそうな儚さと、誰にもおもねらないで生きていける強さとを共存させている女。両親との関係性に酷く傷付けられたまま歳を重ねてしまったところ、極端な受身、頑固で内向きの静けさ――には共感を覚えやすかったし、その一方にある芸術家としての力強さや野生的かつ神秘的で孤高な佇まいには、とても強く惹かれた。
 冒頭で夫の裏切りを知ってから強引に別離へと持っていく決断力、そして素早い行動力は小気味良いほどだったが、結局アンはその後も、自分の人生を不幸にしてきた“受身の強情さ”を矯めるようなことは決してしない。誰にも依りかからない己の生き方を、そのまま淡々と貫き通したのだった。老いも孤独も焼けつくような別れの痛みも、最後には全て後ろに投げやりながら。
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