谷崎由依さん、『舞い落ちる村』

 まいおちる――の、その言葉の響きがとても好きで気になっていた作品。 
 “まいおちる”って聴くとそれだけで、何か木の葉のように軽やかなものがくるくるくる…と、文字通り可憐に舞いながら落ちてゆく様がまなうらに浮かぶので。 じゃあ、くるくるくる…と舞いつつ落ちる村って、いったい何のことだろう…と首を傾げていた。

『舞い落ちる村』、谷崎由依
を読みました。

 出だしからぐいぐいと、異質な空間へと押し込まれていくような感覚が鮮烈であった。 身構える暇もあらばこそ、ホンの数行読んだだけで、語られていることの異様さと村の雰囲気にじわじわと侵されていく心地がした。 暦が曖昧であるとか、齢の重ね方が人によっててんでばらばら…とか、無秩序にふくれたり減ったりする大所帯のこととか。 
 “わたし”のふたつ上の姉の、多過ぎる髪と淫蕩な赤い唇のイメージが、くねりと絡み付き纏わりつく。 そして彼女はむかしは、“わたし”の妹だったという。
 そんな村で育った“わたし”が、外の世界へ出て大学へと進む。 名前を持たなかった(!)自分を自ら名付けて――。

 外の世界に出た“わたし”は、己の育った村の特殊さを知ったり、朔という名の友人を得るが、その身体は徐々に不協和音にとり込まれたように壊れていく。 まるで、馴染みようのない外の世界から、異質な物として吐き出されるように。

 限られたものしか名前を持たない女たちの住む村。 そしてその夫たちはと言えば、影か何かのように顔を持たない存在としてしか扱われていない。 血のつながりも定かではない大きな家族――。
 名前を持たない女たちの意識は、だらだらとその境界線を失くして溶けあい(或いは、だらしなくもたれ合って)渾然一体となり蠢いているのではないだろうか…という印象があった。 そしてそう考えると、村全体そのものがまるで有機体のように、静かに脈打ち変容し続けているのではないだろうか…とも思えてくるのであった。 暦や言葉を持たない人々を閉じ込めて、歪んだ空間の中をどこまでも、静かに舞い落ちていく美しい村。

 “語る代わりに紡ぎ、書く代わりに織る”ということに、心惹かれずにはいられなかった。 遠過ぎて、憧れる。

 もう一つの作品、「冬待ち」も面白かった。 女同士ならではの、隙間のない緊密な繋がり。 まさに、それゆえの脆さとか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )